(増補版)634E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年1月~1896年1月)

題:(増補版)634E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年1月~1896年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
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1896年、出来事:
・第5代第2次伊藤博文内閣(~1896年8月31日)
伊藤博文の単独辞任により黒田清隆が臨時兼任(1896年
 8月31日~1896年9月18日)
・第6代第2次松方内閣(1896年9月18日~)
 松方内閣第十議会(氷川清話)
・拓殖務省台湾府を置く(氷川清話)
  台湾事務局関係事務と北海道拓殖事務を統轄する機関
 として拓殖務省(たくしょくむしょう)が設置された。
・日清通商航海条約調印(1896年7月21日、10月20日実施)
  下関条約に基づいて結ばれた。
  領事裁判権・協定関税・最恵国待遇を含む欧米諸国と
 同一内容の条約。
  日清両国人の共同経営事業についての規定、日本人の
 登録商標著作権保護の規定などを定め、追加条約も締
 結した。
・北海道鉄道敷設法の公布(法律第93号)(1896年5月14日)
  北海道の予定線6路線が制定された。
  「北海道官設鉄道」を整備するなかで、十勝線・天塩
 線・釧路線・富良野線根室本線・宗谷本線などが次々
 と開通した。
  産業の発展、人口の拡大とともに鉄道は、北海道全域
 へと広がりをみせた。
民法が公布された(1896年4月27日)
  明治29年法律第89号によって、民法第一編・第二編・
 第三編(総則、物権、債権)が定められた。
・郡司成忠(ぐんじしげただ)らが、再び、千島列島の最
 北の占守島(しゅむしゅとう)に上陸した(1896年8月)
  (参考)郡司成忠:日本海軍軍人、探検家、開拓者。
     1860年12月28日~1924年8月15日、
      開拓事業団「報效義会」を結成し、北千島の
     探検・開発に尽力した。
      小説家の幸田露伴は弟。
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1896年、世界情勢
・朝鮮で露館播遷(ろかんはせん)(1896年2月11日)
  (参考)播遷:はせん、遠くさすらうこと。
  朝鮮国王がロシア公使館に移らされる・・
  朝鮮政府に好き勝手をしていたロシアの横暴。
  朝鮮の政治家の金允植(キム・ユンシク)は、穏健な
 開花的な人物だったが(科挙の試験にも合格し才能ある
 人物)・・、この時、朝鮮に親ロシア政権が成立させら
 れると、親日派だとして済州島に流刑された。
  この年、朝鮮民衆の抵抗行動が起きる。
・小林・ウェーバー覚書が成立(1896年5月14日)
 ソウルにおいて、日露間で朝鮮問題に関しての討議結果
 の覚書が締結された。
  ロシア公使館に幽閉的に居る朝鮮国王の還宮(げんぐ
 う、宮を元にもどす)の実現について・・など
・日露で山縣・ロバノフ協定(1896年6月9日)
  ロシアの干渉などで、李氏朝鮮の不安定な政治情勢が、
 日露間に種々の軋轢となっている・・そこで・・
  日露間で協定を結び、互いに朝鮮の独立を確認し合い、
 そして、朝鮮の立場を保証することを約した。
  また、朝鮮財政の悪い状態の改革を促進することを約
 した・・その他・警察・軍事・電信線維持などを約した。
・朝鮮の改革派が、独立協会を組織し、ロシアの横暴に対
 して立ち上がった(1896年7月)
  ロシアの横暴に対する反動・・
  軍事、財政、人事権にまで干渉するロシアを排除する
 ため、市民も参加し、万民共同会が開催され、多くの成
 果を上げた・・最初、懐柔策がとられるが・・しかし、
 結局、弾圧を受けて行く・・
・露清密約(1896年6月3日)
  李鴻章・ロバノフ協定ともいい、ロシアと清との間で
 秘密条約が結ばれていた。
  (ロシア側の代表は、外務大臣のロバノフと、財務大
 臣のヴィッテ)
  内容は、ロシアと清のいずれかが、日本と戦争になっ
 た場合、参戦の義務を負うという秘密条約だった。
  この条約の結果、この後に起きる日露戦争に、中国も
 参戦していて・・故に、実際は、日露戦争ではなく、日・
 露中戦争の状態となっていた。
  この秘密条約は、日露戦争(日・露中戦争)の原因の
 一つとなっている。
  ロシアは、この秘密条約の締結によって、大幅に満州
 地域の権益を中国・清に認めさせた・・不平等な条約(
 ロシアが東清鉄道敷設権を獲得)
  これは、ロシアが三国干渉で日本から遼東半島を取り
 返したことへの見返りという要求の仕方で、実現したも
 のだった。
  この東清鉄道は、シベリア鉄道のチタ(ザバイカリエ
 地方の首都)から分岐して、満州の西北の満洲里(まん
 しゅうり)から東南の綏芬河(すいふんが)の間を横断
 し、ウラジオストックに至る本線と、中間のハルビン
 ら遼東半島の旅順・大連を結ぶ南満州支線からなってい
 る・・ロシアの広域な作戦行動ができる計画・・ロシア
 の支配権を強烈に実施し得るように計画された。
  この年に、ロシアは本線の施設権を得て・・そして・・
  支線は、この後の1898年に、イギリス・フランス・ド
 イツ・ロシアの列強4か国が、中国分割をした時、ロシア
 が得た遼東半島南部の租借権とともに、敷設権を清に認
 めさせた。  
  (参考)中国分割:ドイツは膠州湾、イギリスは威海
     衛と九竜半島北部地域、ロシアは旅順・大連、
     フランスは広州湾というように・・
      この列強4ヶ国が、中国のそれぞれの租借地
     好き放題に獲得した。
・プレッシー対ファーガソン裁判
  黒人の方々の努力して得た既得権利を無効化して人種
 差別を認めた裁判(1896年5月18日)
 「分離はするが平等」の屁理屈判決だった。
・イエロー・ジャーナリズムの競争が熾烈となる・・
  日本も、この嘘報道に大いに影響を受けた。
  「イエロー」は、「ニューヨーク・ジャーナル」と「
 ニューヨーク・ワールド」が「イエローキッド」の色刷
 り漫画を奪い合って掲載した事から名付けられた・・が・・、
  煽情的な、そして、興味本位の新聞編集と記事を売り
 物として・・嘘も交えて記事にするという破廉恥な報道
 だった。
・アラスカで金鉱が発見された。
  アラスカを、アメリカはロシアから購入(1867年3月
 30日調印)したが・・、
  そのロシアへ投資した720万ドルで買ったアラスカで、
 1896年、金鉱が発見された。
  また、この金鉱だけではなく「資源の宝庫」であるこ
 とが判明した。
  買った当時、国務長官のウィリアム・H・スワードは、
 「巨大な保冷庫を購入した」とアメリカ国民に非難され
 た。
  当然、資源の発見でスワードの評価が高いものに変わ
 った。
・フィリピン革命(1896年8月23日)
  フィリピンでカティプーナン党の反乱
  アメリカの卑劣な裏切りの嘘つき行為が行なわれた・・、
  フィリピンの方々は、一生懸命にスペインと戦い、ア
 メリカの味方をした・・血を流した・・が・・アメリ
 の裏切りで、フィリピンの方々は、この卑劣なアメリ
 とまた戦うということとなった。
・フランスがマダガスカルを植民地化した(1896年8月6日)
  フランスは、自国な強大な武力を背景に、アフリカ西
 部、インド洋上の島々、東南アジアなどをフランス領と
 し、また、植民地とした。
  その解放は、第二次世界大戦後の日本の戦いの後とな
 る。
・イギリス・ザンジバル戦争(1896年8月27日)
  この戦争は、38分から45分で終了し、史上最短の戦争
 と言われている。
  この様に武力差の大きい状態の弱小相手を牛耳るとい
 う卑劣さだった。
  イギリスが、国益を得ようとした戦争。
・第一次エチオピア戦争: アドワの戦い(1896年3月1日)
  イタリアのエチオピア征討軍が、アドワで大敗した。
  エチオピア軍の輝く勝利・・白人の横暴を挫(くじ)
 いた。
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1896年、データー
・都市の人口:東京134万2,152人(別データ136万5,068人)、
 大阪49万人、京都33万9,896人、名古屋20万9,270人
華族の数:2,745人、
・紡績工場の数:63、
・米一石の値段:約9円~10円、
・電気事業者:火力発電23カ所、水力発電7カ所、水・火力
 併用3カ所、
・電灯数12万余
特許法を施行して十年が経た。出願は1万に達した。
  (時事新聞が、くだらないものばかりと報じた)
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1896年、産業
川崎造船所(後の川崎重工業) が設立された(1896年
 10月15日)
・日本で初の電力会社・東京電灯が営業を開始した(1896
 年7月5日)
・東京電灯・浅草発電所で国産初の発電機を使用した。
・電気事業取締規則が公布された(逓信省令第5号)
  電気事業の創業当初は,電気工作物に対する保安取締
 りが主たる行政だった。
・電気事業者の監督行政が全国統一化
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1896年、経済
・ダウ平均株価が初めて発表される。
 ダウ・ジョーンズ社が開発した。
 当初は12銘柄による平均株価としてスタートした。
 この頃から今でも残っているのはGEの1銘柄だけ・・
 でも、長い歴史の中で、GEは構成銘柄から2回外れた。
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1896年、交通
台湾総督府鉄道局告示(1896年7月3日)
  台湾鉄道会社を、1896年5月に発起し、南北縦貫鉄道建
 設を請願し、政府もこれを許可したが、株式募集は進展
 しなかった。
  総督府後藤新平民政長官は、重要事業の鉄道建設は、
 民間会社では不可能と判断し、公債を募集したりして積
 極的に進めた。
東海道線の本格的な改良工事に着手した。
  この年度から7か年継続事業として可決された。
衆議院議員・望月右内は、政府提出案と並んで鉄道敷設
 法第2条の改正案を議会に提出(未成立)
・軌制取調委員、広軌狭軌の得失をはじめ広軌改築の方
 法および経費など審議。
・仙石貢「広軌鉄道ニ関スル意見」、南清「広軌鉄道ニ係
 ハル意見」、白石直治「広狭軌道比較論」を軌制取調委
 員に提出。
・東京中野に鉄道大隊編成(陸軍)
山陽鉄道兵庫工場で1B1形タンク機関車(のちの850形)を
 製作。
日本郵船が、欧州定期航路を開設した(1896年3月15日)
  そして、日本郵船は、また、豪州航路を開設(1896年
 10月)
  2年間の激しい競争の末、日本郵船ボンベイ航路は、
 国際的に認められ、近海の海運から遠洋の海運へと事業
 は拡大して行った。
  続いての挑戦したのが・・欧州航路だった。
  日本郵船は、1896年、ロンドン支店を設置し、土佐丸
 をヨーロッパに向け出航させた。
  しかし、またしても欧米の海運会社による組織が、既
 得権を主張し、復路(東航)のロンドン、往路(西航)
 の上海寄港を阻止してきた。
  最大の貨物集積地に寄港できないことはビジネス上大
 きなマイナスだったが、その相手を刺激すればビジネス
 そのものができなくなる。
  屈辱的な条件のもとで、運航を続けながらも、日本郵
 船は船隊の拡充を進めて行った。
  信濃丸を含む13隻が揃い、総トン数で欧州海運会社に
 匹敵する体制ができあがって行く。
  こうなっては対抗相手側も、日本の海運を対等の競争
 相手と認めざるを得なかった。
  1902年、日本郵船は、欧州極東往航同盟への正式加入
 を果たした・・これを契機に、海外への航路網を飛躍的
 に伸ばして行った。
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1896年、論・文学・本
宮沢賢治岩手県に生まれた(1896年~1933年)
・立花銑三郎がダーウィンの著作を「生物始源(一名種源
 論)」という題で、日本初翻訳した(1896年3月22日)
  夏目漱石と同級生で、また、行く時期はずれたが、共
 に、ドイツとイギリスへ留学している・・そして、その
 翌年(1900年)、遅れて来た漱石と対面している。
樋口一葉が亡くなる(24歳)
  才能ある女性・・その才能が輝いた一時を「奇跡の14
 ヶ月(1年2ヶ月)」と言われている。
  才能の輝くこの女性は、母より2年も早く、惜しくも24
 歳の若さで世を去った・・樋口家の菩提寺である築地本
 願寺別院で眠っている(後に、杉並区永福の築地本願寺
 和田堀廟へ)
  一葉の妹・くには、一葉の草稿・日記・反古紙の保存・
 整理に尽力されている。
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  (今日の言葉)
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  題:満州人が居なくなった理由は、中国は人民浄化を
   していた・・不明だったことが判明した・・
.
325年、ニーケア公会議
  公会議は、キリスト教の最高の会議である。
  この年、ニーケア公会議という会議が開かれて、何を
 討論し、何を決めたのか?と言えば・・、
  「イエスは、人か?」、または、「神か?」という議
 題だった。
  討論の結果、「人だ」としたアリウス派は、異端とさ
 れ、キリスト教ではないと放逐された。
  そもそも、神らしさのないイエスに問題があったのだ
 ったが・・この後、イエスの神格化が進められた。
  そもそも、イエスを書いた「福音書」が、「ただの人
 間のように書いているから問題があったのであって」、
  最近でも、キリスト教は、「尊敬語」や「丁寧語」に
 福音書を書き改めようと、最近になって書き改める事を
 決めたくらいであった。
  キリスト教の信仰の基本であるキリスト教の聖書は、
 「無謬だ」と言って「間違いは少しも無い」と言ってい
 ながら、よく書き改められる。
  ある宗派は、キリスト教の聖書を、全面的に書き換え
 たくらいである。
  4つある福音書も、イエスの捉(とら)え方は、まち
 まちで、皆、好き勝手な立場でイエスを描いている。
  故に、書かれてから200年以上も経って、公会議を開
 いて、討議し、決定しなければならない羽目になったの
 だった。
  イエスは、「主(神)」を祈った。
  故に、この一神教で良い訳なのだが?
  この300年も後に、イエスも神となった。
  キリスト教の神だとされた。
  二神教である(主とイエス)。
  しかし、キリスト教とは、この様に、キリスト教の根
 本が、コロコロと代わる宗教なのだが?
  (何が無謬だと問いたい・・が?)
  だが・・この後・・また・・
  「聖霊」なる不思議なものが浮かび上がる。
  「この聖霊も放っておけない」という話になった。
  この聖霊は、「主(神)の意思を、奇跡の形で伝える
 不思議なものなので、放っておけない」という訳だった。
  そして、三神教となる。
  しかし・・このおかしさ?を・・一神教に戻す話を、
 アタナシウスが行なった。
  あみ出されたのが、「三位一体神」である。
  「三つの神は一神なのだ」という話(説?)である。
  今・現在、キリスト教は、この形の神をキリスト教
 神だとしている。
  しかし、キリスト教の最高の立場にいるローマ法王が、
 銃弾に撃たれて倒れた時、命は取り止めたが、この時、
 このローマ法王の言った言葉が、「黒マリア様に命が救
 われた」だった。
  ローマ法王は、「三位一体神のお蔭だ」とは言わなか
 った。
  毛また、次なる一つの神が、キリスト教に出現した瞬
 間だった。
  325年のニーケア公会議で決定がなされたが・・、
  それ以後のキリスト教の内部では、この様な大事な根
 本の信仰対象の神に対して、この様にごたごたと揉めて
 いた。
  その最初が、約60年後の381年に、再度、コンスタンテ
 ィノーブル公会議で、再確認がなされなければならない
 という状態がすでにあった。
  やはり、キリスト教の信仰の根本の神の形のごたごた
 話しだった。
  この後、キリスト教という宗教によって、多くの有色
 人種を含む「種々の人々」が、殺戮されるという歴史が
 展開する・・
  このようになるとは、誰も予測はしていなかった・・
.
15世紀、ヨーロッパに魔女裁判が起き、盛んになって行く。
  拡大するキリスト教の資金集めからの行為だった・・
  ヨーロッパの中世の末の15世紀には・・、
  悪魔と契約してキリスト教社会の破壊を企む背教者と
 いう新種の「魔女」の概念が・・
  キリスト教聖職者によってつくられ・・生まれた。
  そして、それとともに、最初の大規模な魔女裁判が、
 キリスト教の教会内に作られ、起った。
  初期近代の16世紀後半から17世紀にかけて・・
  『魔女熱狂』とも、『大迫害時代』とも、呼ばれる魔
 女裁判の最盛期が到来した。
  (資 料ー1) : 
  女性の悲劇の到来だった・・
  ヨーロッパ・キリスト教国の女性には、拷問を伴う魔
 女裁判という怖ろしい、そして、悲しい歴史がある。
  中世の女性方は、震え怯えて過ごしていた・・
  今、日本では、「美魔女」などと、安易に魔女という
 言葉を使っている・・が・・
  題:キリスト教国における、キリスト教による魔女裁
 判
  16世紀のなかば、トレドのキリスト教の異端審問で、
 エルヴィラ という人妻に対して行われた「尋問」のその
 経過を、忍耐強い書記が、被告の悲鳴や絶叫にいたるま
 で、細大洩らさず書きとめた長文の記録がある。
  そのキリスト教の裁判には、拷問が必ず行われた。
  以下その『一部』・・
  ・・(エルヴィラの両腕を縛った綱がさらに締め付けら
 れ、捻じられる。悲鳴。)
  「裁判官さま。何を申し上げたらいいか、言ってくだ
 さい。私がどんなことをしたのか私にはわからないので
 す。綱をゆるめてください、本当のことを申しますから。
  何を言えとお望みなのか、私には分かりません。おっ
 しゃってください。その通りに申します。」
  (さらに綱が締められる。「真実を言え」と迫られる。
 「どう言ったらいいか教えてください。何でも申し上げ
 ますから」と彼女は繰り返す。)
  (「おまえは豚肉を食べただろう」と誘導される。)
  「いいえ、食べた事はありません。豚肉を食べると私
 は気持ちが悪くなるのです。豚肉は好きじゃないんです。
 私は何も悪い事はしていないんです。どうぞ放して下さ
 い。何でも申しますから。何を申し上げれば宜しいので
 すか。何を言ったらいいのか分からないんです。言って
 下さい。何でも申します。放して下さい。何でも申しま
 す。・・・言って下さい、言って下さい。」
  (綱はゆるめられず、「キリスト教カトリック教会に
 そむく事をしただろう」と尋ねられる。)
  「放して下さい。・・・(うめき声)・・・ここから
 おろして下さい。何を言ったらいいか、言ってください。
  ああ・・・苦しい。
  お望み通りのことをみんな申し上げますから・・・。
  裁判官さま、もう腕が砕けます・・・。ゆるめてくだ
 さい・・・」
  (「お前がした事を詳しく言え」と迫られる。)
  「何を申し上げたらいいのか・・・。そうです、いた
 しました。
  なんでもいたしました。・・・ああ、ゆるめて下さい。
 申し上げねばならない事が、私には思い出せないんです。
 弱い女の身です。腕が砕けそうです。弱い女に、憐れみ
 をお持ちではないのでしょうか。・・・」
  (裁判官は、「本当の事を言えば憐れみを持つであろ
 う」と言う。)
  「裁判官さま、言って下さい。本当の事というのを教
 えて下さい・・・。
  (泣きむせぶ)・・・分からない・・・何を言ったら
 いいのか・・・。」
  (同じ言葉の繰り返しと拷問が続いたのち、「おまえ
 は土曜日に麻の着物を着替えただろう」と尋ねられる。)
  「はい、着替えました。着替える時が来ていたからで
 す。悪意があっての事ではありません。何をお考えにな
 っているのでしょう。・・・」
  (裸にして拷問台に寝かされる。四肢は四方に、綱で
 引っ張られる。口に水管が差し込まれ、水差しから水が
 注がれる。その合間合間に彼女は前と同じことを繰り返
 えされる。ここで、拷問は一時「中断」。)
  それから4日後、拷問は再開された。              
              岩波新書魔女狩り」より
  (資 料ー2):
  魔女にした女性を裁くキリスト教裁判所・・、
  そのキリスト教聖職者の裁判官は、魔女にされた女性
 が、焚刑になる前の日、「天国へ召されるように」と、
 魔女にされた女性の体を奪う。
  結局、自分の子と一緒に魔女にした女性を殺す事をす
 るキリスト教聖職者。
  キリスト教聖職者の子を宿して魔女にされた女性は、
 公衆の面前で焚刑で殺される。
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16世紀、キリスト教宗教改革派は、聖母崇拝を廃止し、
 禁止した。
  しかし、逆に、キリスト教カトリックは、これを奨励
 した。
  ローマ・バチカンから発信された聖母像が世界的に伝
 播させる行為を行なった。
  そして、それが、日本に入って来た。
  また、キリスト教カトリックのスペイン人は、その聖
 母像を持って、南アメリカなどメキシコからアメリカ大
 陸の南端まで50年間におよぶ、殺戮の侵略をする。
  土着文化を破壊し、先住民の住民の方々を殲滅して行
 く・・そして、先住の民を奴隷にし・・自己の利を求め
 て「征服し」「土地を奪い」「奴隷取引をした」。
  16世紀半ばから末に、日本へ聖母像(マリア像)を持ち
 込んだ。
  16世紀~17世紀、布教において聖母像を多く利用した。
  それは、それが効力を発揮するからと・・やった。
  また、それは、節操なく土着の宗教と習合した・・
  自分の宗教を守ることに対して、節操なく破った・・
 キリスト教は大地女神信仰となった。
  自らのキリスト教教義には無頓着だった・・都合が優
 先した。
  そして、マリア像も節操なく変形を遂げた。
  キリスト教が、ヨーロッパへ浸透する際も、あちこち
 の土着のヨーロッパの土着の宗教と習合し、同時に、土
 着のケルト人の方々を駆逐し殺戮した。
.
1776年7月4日、アメリカの独立を宣言する文書が採択され
 た。
  イギリスによって統治されていた北アメリカの13の植
 民地が、独立したことを宣言する文書が、この日(1776
 年7月4日)、大陸会議によって採択された。
  7月4日は、「アメリカ合衆国独立記念日」とされて
 いる。
  そして、アメリカの歴史が始まる・・が・・
  アメリカの歴史は、アメリカ政府とロスチャイルド
 どイギリスの銀行家との通貨発行を巡る戦いだった。
  18世紀のこのアメリカの建国以来、20世紀の初頭まで
 その長い戦いはなされた。
  しかし、巧妙に戦ったロスチャイルド側の勝利に終わ
 った・・アメリカ政府は敗れた。
  1913年に、ロスチャイルド系銀行を中心とする国際銀
 行家たちが、中央銀行の設立に成功してドルの発行権を
 握った。
  アメリ中央銀行は、FRB連邦準備銀行、連邦準
 備制度理事会などの呼び方がある。
  これは、100パーセントの民間銀行である。
  株主は秘密にされているが、種々の情報から「ロスチ
 ャイルド系銀行」が主な株主である。
  これが、世界の基軸通貨の米ドルを印刷し、発行権を
 持つ者となっている。
  どんどん刷ってもよく、そして、刷って世界の皆に渡
 している。
  毎日、値動きする交換レートで日本円にも替えられる。
  「打ち出の小槌(こづち)」現象となっている。
  あなたの家にも、この様な輪転機があったら、嬉しい
 でしょう・・?
.
1895年11月28日、春生門事件
  朝鮮の露米両公館に潜伏していた李範晋・李学均・李
 允用・李完用、侍衛隊教官アメリカ人ダイ、アメリカ人
 宣教師等は、朝鮮王・高宗を強引に奪った・・、
  また、金弘集総理らを殺害しようとしたカウンター・
 クーデターをした。
  親衛隊大隊長の李軫鎬の内通により、失敗に終わり、
 ロシアの公使館やアメリカの公使館に逃げ込んだ。
.
2019年、満州人が居なくなった理由は、中国は人民浄化を
 していた・・不明だったことが判明した・・
  それは、満州人の男だけを移住させて・・、
  女性だけが残った満州へ、漢民族の男を送り込んだ。
  そのことを強制的にしたので満州人が居なくなってし
 まった。
  それを、今・現在、チベットウイグル内モンゴル
 がやられているという。
  https://www.youtube.com/watch?v=u2xw-Ma9ysY
.
2019年2月19日、杉原千畝の記念碑が撤去された。
  キリスト教が、杉原千畝キリスト教徒だとして美化
 して来た杉原千畝イスラエルの記念碑が撤去された。
  「ユダヤ人の恥だ」という批判があった。
  この日の読売新聞が伝えた。
  ナチスの迫害から多くのユダヤ人を救ったとして、イ
 スラエル中部ベトシェメシュに設置されていた外交官の
 杉原千畝の記念碑などが撤去されていることが判明した。
  地元メディアは「ユダヤ人の恥」などと批判した。
  記念碑の設置は、イスラエル政府が1985年、戦時中に
 ユダヤ人を救った人として杉原千畝を顕彰した事を受け
 て行なわれた。
  松なども数百本を植樹した。
  式典には、杉原氏の親族ら約40人が出席した。
  しかし、今年1月、記念碑などが無くなっていることに
 ユダヤ人関係者が気づいた。
  調査をすると、約10年前に記念碑は撤去され、植えた
 林の一部も伐採されていたことが分かった。
  施工業者はすでに倒産していて、経緯は不明で、記念
 碑は廃棄されたとみられている。
  イスラエル政府はこの経緯を把握していたとみられる。
  地元主要紙やテレビ局などは「ユダヤ人として恥ずべ
 き事実だ」などと批判した。
  生存者の親族は「信じがたい事実だ。恩人に申し訳な
 い」との声、また、杉原氏の四男は「植林を通じて悲劇
 の歴史を次の世代に伝えたいという思いがあった。撤去
 は大変ショックだ」と話した。
  (意見)この杉原千畝の話は、事実が最初から捻じ曲
     げられていて、特に、嘘を交えて、恣意的に美
     化されている問題点がある・・そして・・
      キリスト教の運動方針から、同時に、日本と
     いう国を貶(おとし)めているという卑劣な行
     為がある。
      故に、事実が判明して、この様な嘘行為や貶
     め行為が明らかになると、全体が汚い行為とし
     て現実化して来た。
      最初から、誠実に、真実を伝えなかったツケ
     が、今の姿となっている。
      この様な事態になっても、まだ、これを伝え
     た読売新聞でさえ「何かに遠慮しているのか?」
     嘘解説を報じている。
      読売新聞が・・
      「日本政府の意向に反して独断で通過ビザを
      発給した」と記しているのは「嘘記事である」。
      杉原千畝は、「ビザの発給権限を持っていな
     かった」。
      その様な立場・役職の外交官だった。
      その権限を越える行為をしようとするから、
     日本政府がその様な行為はするなと言ったまで
     の事で・・、
      大切なことは・・この時、日本の大使館は、
     どこでもユダヤ人の方々にビザを発給していた。
      読売新聞は嘘を思わせるヨタ記事となってい
     る。
      満州に逃げて来たユダヤ人の方々を歓迎して
     日本の軍隊が迎えに出ている・・出迎えの車を
     差し向けることまでして・・そして、日本の取
     り計らいで神戸まで安全に来てもらって、歓待
     し、安全に居住して戴き、処遇させて戴いてい
     る。
      日本を貶める者たちを糾弾する。
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