(増補版)623E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年3月〜1895年4月)

題:(増補版)623E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年3月〜1895年4月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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1895年3月30日、逓信省官制公布(勅令第27号、4月1日施行)
  郵便及電信局官制中改正ノ件
  職員の増員
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1895年3月、朝鮮国(李朝)が、朝鮮東学党の代表・全琫準
 (ゼンホウジュン)を処刑する。
  井上馨日本公使は、全琫準の人格に共感し、朝鮮政府
 に処刑しないように要請していたが、朝鮮政府は井上が
 日本に帰国している間に、処刑を執行した。
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1895年3月、日本鉄道の赤羽駅川口駅間の複線開通により
 上野駅〜大宮駅間の複線が完成した。
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1895年4月1日、第4回内国勧業博覧会が開催された。
  内国勧業博覧会(ないこくかんぎょうはくらんかい)
 は、明治政府の殖産興業政策の一つとして開かれた内国
 物産、美術・工芸品の博覧会で・・、
  第4回は、京都で開催された。
  この時、裸体画論争が起きる。
  黒田清輝の「朝粧(ちょうしょう)」が芸術か?、風
 俗を紊乱(びんらん、道徳・秩序を乱すこと)する春画
 の一種か?の問題だった。
  西洋列強に追いつくことに必死だった明治政府にとっ
 て、そもそも裸体は先進国にふさわしからぬ野蛮な習俗
 であると捉え・・、
  公共空間で堂々と展示すべきものではないと判断した。
  この時、警察の取締りは行われなかった。
  後の1901年の白馬会第六回展においては、警察は、特
 別室での鑑賞の形を求めた。
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1895年4月1日、九州鉄道の小倉駅〜行事駅(現:行橋駅)間
 が開通した。
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1895年4月3日、甲武鉄道の飯田町駅八王子駅間が開通し
 た。
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1895年4月3日、甲武鉄道市街線の牛込駅〜飯田町駅間が開
 通した。
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1895年4月5日、日本初の1千トン級の貨客船「須磨丸」が
 竣工した。
  三菱合資会社三菱造船所、三菱第65番船
  1563トン(1536トン?)、835馬力。
  日本初の二重底をもった船(それまでは単底)
  日本初の台湾航路として開設された大阪〜台湾航路に
 就航させる目的だった。
  1896年、台湾総督府の依頼で、大阪商船によって開設
 され、須磨丸などの3隻の汽船が 大阪〜基隆を結んだ。
  また、この年1896年、陸軍省の航路として、日本郵船
 も神戸〜基隆間を開設し・・、
  翌1897年、台湾総督府の航路となった。
  使用船は「山城丸 2852t」と「弘済丸 2635t」・・、
  1898年、大きさで劣った大阪商船は、新造船の台北
 (1897年進水,、3300トン) 、台中丸(1897年進水、3213ト
 ン) を投入して競走した。
  日本郵船は、続いて「西京丸」(1906年)、「信濃丸」、
 「備後丸」(1907年)、「因幡丸」(1915年)を投入して船
 舶の大型化をはかった。
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1895年4月5日、筑豊鉄道の飯塚駅〜臼井駅間が開通した。
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1895年4月6日、甲武鉄道が、お花見列車を運行した。
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1895年4月8日、ロシアが、列強各国へ、日本に対する共同
 干渉をすること提案した。
  日清戦争講和条約である下関条約で認められた、日
 本の遼東(リヤオトン) 半島領有に反対するロシアが、
 フランスとドイツと共同干渉しようとした。
  下関条約の調印の6日後の1895年4月23日、当時、満州
 への鉄道建設を目指していたロシアは、遼東半島の領有
 の放棄を日本に勧告した。
  ロシアと同盟関係にあったフランス、ロシアの進出方
 向を極東にそらすことをねらっていたドイツもこれにな
 らった。
  当然、束になって日本に圧力をかけた列強各国に対抗
 出来ない日本・・
  日本の国力では3国に対抗できないので、1895年5月5日、
 これを受諾した。
  日本は、遼東半島を清国に還付することとした。
  (日本は、遼東半島を買っていたので、当然、清国は、
 日本に返金した)
  以後、ロシアは、満州に鉄道敷設権を獲得し、遼東半
 島を租借地とした。
  これを見ていたフランス、ドイツ、イギリスも争って
 租借地を要求した。
  日本では「臥薪嘗胆(がしんしょうたん、仇を討とう
 として苦心・苦労を重ねること)」のスローガンで、対
 ロシア報復の国民感情が大きくなった。
  外交面で、対英接近が進められて行く。
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  (今日の言葉)
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  題:中国の「シャープパワー」に対抗せよ。
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1885年、伊藤博文は、この年に、内閣制度を創設して、自
 ら初代の内閣総理大臣に就任した。
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1935年、イランという国号が採用された。
  イラン人は、自ら「イーラーン(アーリア人の国)」
 と称していた。
  そして、「アーリア」とは、「高貴な」をいう意味で、
  故に、ヨーロッパからの圧迫を脱却し、民族の誇りを
 回復する意味から、1935年に、イランという国号を採用
 した。
  キリスト教徒のヨーロッパ人からの精神的圧迫から脱
 却を計った。
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1951年4月28日、サンフランシスコ講和条約が結ばれた。
  日本は独立した。
  アメリカの主導する占領から解放された。
  国際社会に、独立国として堂々と復帰した。
  しかし、この時、締結した「サンフランシスコ講和条
 約の条項」に、卑劣にも書かれた条項を、日本は守らな
 くてはならなくなった。
  それは、「日本は、東京裁判極東国際軍事裁判)の
 判決を受託し・・刑を執行する・・」「裁判によって言
 い渡された判決」を受け入れる・・という条文だった。
  日本の軍人を・・日本の兵士を(日本と共に戦った韓
 国の兵士も判決を受けていた)東京裁判で判決し、殺し
 たりしたが、それを受け入れよというものだった。
  東京裁判で死刑判決になった人は28名いた。
  これも、まったく卑劣に決められた。
  日本が負けると分かっていた頃、裁判以前のこの時に、
 すでに、連合国は、「誰を死刑にするか」を決めていた。
  「公正な裁判の結果、死刑になった」という様に、世
 界には見せかけた。
  アメリカなどの連合国は演技した・・卑劣である。
  アメリカは、「東条英機を死刑にしたい」と打ち合わ
 せで言った。
  中国国民政府(今の中国共産党政権では無い、この中
 国共産党政権とは日本は戦争をしていない)は、「板垣、
 土肥原、松井・・」と言い、
  ソ連は、「広田弘毅・・」と言い・・、
  各国が、好き勝手に、また裁判の判決も無いのに言い
 たい放題だった。
  リンチ(私刑)の見本の様な下劣な事をやっていた。
  そして、東京裁判の演技の「作られた裁判」が行われ
 て、日本の軍人(兵士)達は責任を取って殺された。
  これ等の事が、サンフランシスコ講和条約に「受け入
 れろ」と書かれていた。
  しかし、東京の他の地でも・・
  その他の地域の世界中でも、裁判が行われていて、日
 本軍人が、東京裁判を真似た裁判で・・殺された。
  連合国は、それらを止めること無く、出先の勝手な裁
 判で、「やりたい放題」をさせていた。
  死ななくてよい日本軍人(兵士)が命を取られたりし
 た、また、刑に服す虐(しいた)げに会った。
  ユネスコの記憶遺産にして、長くこの卑劣行為を記憶
 に止めよ。
  まったく卑劣に、連合国の国際的取引のまな板の上で、
 日本人兵士の命はやり取りされていた。
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1968年4月13日。映画「猿の惑星」が、日本で公開された。
  アメリカ映画が、中国資本に乗っ取られ、中国のプロ
 パガンダ(嘘宣伝)に使われていた。
  猿の惑星のサルは、日本人の暴動で、中国軍とアメリ
 カ軍の共同作戦で殲滅するというストーリーだという。
  この様な影響力の強い映画に、中国は、ありあまる「
 あぶく銭」を投入し、この様な方法で、日本の貶(おと
 し)め行為を相変わらずしている。
  (参考)猿の惑星(さるのわくせい)は、1968年のア
     メリカ合衆国の映画。
      ピエール・ブールによるSF小説『猿の惑星
     を原作とする『猿の惑星』シリーズ全5作の第1
     作。
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2017年1月、NHK横浜放送局営業部に所属していた40代の
 男性職員が、受信料数十万円を着服していた疑いがある
 と発表した。
  職員は、NHKが調査を進めていた2016年10月中旬に
 死亡したという。
  NHKによると、職員は、2015年〜2016年、受信契約
 に関する架空の伝票を複数回にわたって作成。
  受信料を先払いしている受信契約者らの個人情報を悪
 用して、契約を解除したように装うなどして、払戻金を
 着服していたとみられる。
  NHK広報部は、個人情報を悪用された契約者への影
 響は「ない」とした。
  NHKは、今後も調査を続け、被害額を確定させた上
 で、遺族らに弁済を求める方針。
  「誠に遺憾であり、再発防止に努める」としたが・・
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2017年12年20日、中国の「シャープパワー」に対抗せよ。
  日本経済新聞が標記の表題の記事を書いた。
  (これは、イギリスの雑誌「エコノミスト」12月14日
 号の記事の翻訳)
  シャープパワー:
  米ワシントンのシンクタンク「全米民主主義基金(N
 ED)」は、中国による一連の動きを「シャープパワー」
 と命名した。
  「ソフトパワー」は、その国の文化や価値観の魅力に
 よる強みを指すが・・、
  「シャープパワー」は、独裁国家が、外国に自国の方
 針をのませようと強引な手段に出たり、海外の世論を操
 作したりするためのもの・・、
  相手国の社会制度や文化伝統などを鋭利な、すなわち
 シャープな刃物で切り裂くように分断し、自国に有利な
 状態を作る戦略のこと・・、
  2010年のノーベル平和賞が、中国の人権運動の活動家
 で何度も投獄され、当時も獄中にあった劉暁波氏に贈ら
 れた。
  そして、ノルウェーのノーベル委員会が、劉氏の釈放
 を中国に求めた。
  中国は「内政干渉は許さない」とか「ノーベル平和賞
 は西側の利益の政治的な道具である」などと強硬に反発
 した。
  また、ノルウェーから輸入していた養殖サーモンの輸
 入制限などの経済制裁を実施した。
  ノルウェーは、ソルベルグ首相が、外務大臣と貿易産
 業大臣を伴って、2017年4月、中国を訪問し、習近平国家
 主席に面会し、「今後、中国の核となる問題については
 批判しない」という声明に署名した。
  ノルウェーと中国の関係は修復された。
  エコノミックパワーを利用し、自国の制度や文化を押
 し通し、相手国の制度や文化を切断したシャープパワー
 だった。
  韓国も同じ様に・・北朝鮮弾道ミサイルの発射を早
 期に探知し、迎撃するために、2017年、アメリカが高高
 度ミサイル防衛システム(THAAD)の機器を韓国の
 ゴルフ場の敷地に搬入した。
  北朝鮮はもちろん、中国も反発した。
  韓国商品の輸入規制など報復措置を実施した。
  また、設置したゴルフ場が、ロッテ商事の土地であっ
 たため、中国はロッテグループを非難し、ロッテの商品
 の不買運動も行なった。
  そして、韓国の輸出の26%が中国向けだったため、大
 変な打撃を受けた。
  そして、さらに、韓国への中国団体観光旅行が禁止さ
 れたため、2017年11月末までの中国人観光客が、前年比
 で42%も減少した。
  このような背景から、2017年12月、国賓として中国を
 訪問した韓国の文在寅ムン・ジェイン)大統領に対し、
 中国高官との食事は昼食会2回のみで冷遇した。
  また、文大統領は、北京大学で、「中国の夢が全人類
 と共に見る夢になることを期待する」というゴマすりの
 講演を行った。
  中国のエコノミックパワーを駆使して、自国の主張を
 押し付けた結果だった。
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2018年、今、中国は、100万人のウイグル民族の方々を幽閉
 している・・
  アメリカ議会は、これを問題にする方向。
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 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive