(増補版)579E2/3:2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1893年4月〜1893年5月)

題:(増補版)579E2/3:2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1893年4月〜1893年5月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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1893年4月、敦賀〜富山間の鉄道建設に着手した。
  北陸本線の歴史・・、
  北陸本線は、全線が官営鉄道として建設された。
  1889年、長浜駅敦賀港駅間が、東海道線の支線とし
   て開業した。
  1892年7月6日、鉄道敷設法により線路取調委員を設置
   した。
  1892年8月より、北陸線の調査を開始した。
  1893年2月10日、帝国議会第一回鉄道会議に「敦賀ヨリ
   福井金沢ヲ経テ富山ニ至ル百二十三哩五十七鎖余」
   に係る「線路ノ形勢設計ノ概況」が提出され、
  1893年2月16日、これをもとに工事着手順序及び年度別
   予算が決定された。
  1893年4月8日、鉄道庁敦賀出張所、及び、鉄道庁第三
   部敦賀派出所を設置して、敦賀〜森田間の線路実測
   に着手し、
  1893年8月、これを終えて着工した。
1893年5月1日、シカゴ万国博覧会が開催された(〜10月30日)
  シカゴ・コロンブス記念万国博覧会や、世界コロンビ
 ア博覧会とも言われる。
  日本からも、絵画、彫刻などが多数出展した。
  アメリカは、「アメリカ発見」から400年を大々的に
 祝った。
  そして、自国の達成しつつある「文明」の進歩と産業
 の躍進を誇示した。
  そこに、世界の列強の仲間に入りたいというアメリ
 があった。
  しかし、その蔭で、『キリスト教に洗脳された有色人
 種蔑視行為をする』という「後進国以下の行為」を行な
 っていた。
  アメリカの先住の方々であるアメリカ・インディアン
 の方々や、アフリカの方々、また、南太平洋などの方々
 を・・、
  また、当時、アメリカやヨーロッパの植民地で「未開」
 だとか、「野蛮」だとかと蔑視していた方々を、会場の
 片隅に見世物として展示した。
  「珍奇な見世物」とした形・見方で展示した。
  この万博のメインの展示場は、「白い都市」ホワイト・
 シティと名付け、白人の文明を誇示した。
  白人文明の進歩を成果に光を当てていた。
  キリスト教が蔑視し、マインド・コントロールする有
 色人種の方々には、その白人優越に対する「影の役割」
 を担(にな)わせた。
  「白人優位」「優勝劣敗」のキリスト教思想が当然の
 様に誇示されていた。
  1例を言えば、インディアンの方々には、インディアン
 の方々が培って来た、長い年月に育んで来た『独自の文
 化』があり、独自な花が開いていた訳だったが・・。
  それらの貴重な多様な文化のすべてを、「ことごとく
 破壊したこと」を『進歩だ』と誇示して展示した。
  インディアンの方々の『固有な文化』にはまったく意
 を配っていなかった。
  殺戮や破壊の成果を「誇示して展示」していた。
  マヤ文明も、インカ文明も、同時に破壊されて、無く
 なって、それが、「白人の成果だ」と誇示していた。
  紀元前2000年から、メキシコの中央高原には、トウモ
 ロコシ栽培を中心とする「定住農耕村落」が出現し、そ
 の文化を継続して持っていたが・・その方々の文化は、
 消滅させられた。
  アメリカ・インディアンの方々の、コロンブス到着時
 の人口推定値は、過去には、北米に100万人とされていた
 が、最新の研究成果において、北米に200万人〜500万人
 とされている。
  また、最も多い場合には、北アメリカに980万人〜1800
 万人の方々が生活を享受していた。
  この多くの方々を、卑劣にも、あらゆる手を使って、
 銃を使って殺戮し・・、
  また、インディアンの方々が食糧とした野牛が居なく
 なればインディアンの方々も居なくなるだろうと・・野
 牛狩りをしたりとして、インディアンの方々を殺戮した。
  また、中南米には、1500万人とされていたが、最新の
 研究成果において、中南米に3700万人〜5400万人とされ
 ていて、最も多い場合には、中南米に8000万人〜1億人と
 いう研究値がある。
  この様な方々が、白人によって激減したことは、まっ
 たく悲しむべきこと、忌まわしい事である。
1893年5月5日、アメリカで金融恐慌となった(1893年恐慌)
  この前兆の1つは、1893年2月23日に、過剰に拡大を続
 けていたフィラデルフィア・アンド・レディング鉄道が
 破産した事だった。
  この10日後に、大統領に就任したグロパー・クリーブ
 ランド大統領は、大統領就任と同時に金融危機に対処し
 始め、経済危機の主たる原因と考えられていたシャーマ
 ン銀購入法を撤廃するよう議会に働きかけ、成功した。
  経済悪化が明らかに懸念されたので、大衆は銀行に殺
 到し、現金を引き出し、銀行取り付け騒ぎとなった。
  イギリスにおける金融危機と、ヨーロッパの貿易量の
 減少が重なっていて、投資家はアメリカの株を売った。
  そして、兌換のアメリカドルを得ようとした。
  大衆も銀証券を金に換金しようとした。
  アメリカは金の兌換を停止した。
  銀と銀兌換紙幣の需要が落ち、銀の価格と価値が下落
 した。
  債券保有者は、当然、額面価格割れを恐れた。
  同時に、ナショナル・コーデージ・カンパニーや、ノ
 −ザン・パシフィック鉄道などの多くの会社が破綻した。
  その総数は15000社、500銀行など・・シッチャカ・メ
 ッチャカだった。
  失業率も19パーセント、中流層も抵当債券が払えず、
 建てた家から追い出された。
  無人の屋敷が、幽霊屋敷の様に並んだ。
  この恐慌は、当時までアメリカ合衆国が経験した最悪
 の経済不況とされた。
  イギリスを中心とする世界経済の構造変化の最終段階
 だった。
  銀価格の低下でイギリス植民地のインドは大きな影響
 を受けた。
  また、イギリスの植民地オーストラリア経済も大きな
 影響を受け厳しい恐慌となり持続した。
1893年5月10日、アメリカ連邦最高裁が、トマトを野菜と裁
 定した。
  これは、関税がからんだ裁判だった。
  アメリカで、輸入する場合、果物には関税がかからな
 いが、野菜には関税が課せられた。
  輸入業者はトマトは果実だと主張した。
  官僚は野菜だとして、この論争がエスカレートした。
  判決が、野菜だとした理由は・・「畑で育てられ、デ
 ザートにならないから」だった。
  しかし、植物学では「果物」である。
  しかし、アメリカの法律では「野菜」。
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  (今日の言葉)
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  題:20xx年に、国防を怠った日本国民が、天国へ行って、
   天国で日本の先人たちが・・核攻撃の対処をしなかった
   日本国民の大打撃・消滅を見て、「落つる涙は」と詠(
   うた)うだろう。
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8世紀、地中海がイスラム教徒の勢力下となる。
  コロンブスは、生涯、自分が到達したアメリカの地を、
 インドだと思っていた。
  彼は、1492年、アメリカ海域の西インド諸島に到達し
 た。
  スペインが、このコロンブスに西へ向かわせたのは、
 8世紀以降、地中海が、ほぼ全域に渡って、イスラム教徒
 の勢力下にあったからだった。
  特に、13世紀の末に、オスマン・トルコ帝国が成立す
 ると、西ヨーロッパのキリスト教徒は、地中海を通るこ
 とが出来なかった。
  キリスト教徒は、東へ勢力を拡大する事が出来ずに、
 また、南へも、勢力拡大することが出来なかった。
  止むを得ず、西方へ向かうしかなかった。
  コロンブスが、水平線に消える船影を見て、地球は丸い
 と知って、西への探検に向かったという話は、キリスト教
 国によくある美しく仕上げた嘘話・作り話で・・、
  キリスト教の美化話である。
  また、キリスト教国は学問・芸術が非常に進んでいた
 という話も「酷(ひど)い作り話」で・・、
  イスラム圏が劣った地域と蔑(さげす)むのは、世界
 に対する卑劣なプロパガンダ(嘘話)である。
  事実は、まったく逆で、イスラム圏は、学問・芸術な
 ど「すべてにおいて」素晴らしく進んだ社会だった。
  キリスト教国より数段高いレベルにあった。
  また、進んだ軍事力において、圧倒していた。
  キリスト教国は、大切な医学を、イスラム圏に頼らざ
 るを得ず、イスラム諸国に医学を教えてもらい、留学生
 を派遣していた。
  また、種々の学問の教えを受けていた。
  この様な恩恵を受けている国々へ、この恩知らずのキ
 リスト教国は、キリスト教の聖職者の「嘘とあおり」で、
 十字軍を派遣したりする。
  そして、1494年6月7日には、トルデシリャス条約とい
 うとんでもない自分勝手な条約をする。
  世界は自分たちのもの、その世界を分け合おうという
 条約である。
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16世紀後半、桃山文化(〜17世紀初め)
  日本の文化は、「現世を楽しむ開放的な文化」と言わ
 れる。
  これらの日本の文化は、庶民の間から湧き上がって来
 た・・そして、世をより豊かに楽しんだ。
  それに比較して、ヨーロッパの文化は、不埒な方法で
 権力と資金力を独占したキリスト教が、芸術家たちを独
 占して・・描かせ、また、作曲させたのとは違う。
  平等な世の中から、高い芸術性を持った庶民の中から
 様々なジャンルで生まれた。
  大阪の堺の千利休は、「質素なわび茶の作法」を完成
 させた。
  庶民から大名まで、その「茶の湯」の文化を楽しみ味
 わった。
  また、庶民の間には能楽が生まれ、日本人特有の深い
 精神性の高い芸術を完成させた。
  長谷川等伯は、日本水墨画の秀作「国宝:松林図屏風」
 を描いた。
  絵師として狩野派狩野永徳狩野山楽らは城郭や寺
 院の襖絵を飾った。
  華麗な姫路城など日本人の建築技術は、早くから高度
 な技術域に達し、その技術が縦横無尽に発揮されていた。
  天守閣を高く聳(そび)えさす桃山文化は、日本人の
 優秀さを示す一つの証左(しょうさ、証拠、また、証人)
 となっている。
  人々は、色とりどりの衣服を身にまとい、小唄を楽し
 み、踊りに興じた。
  その豊かさは衣服にも表れ、麻の他に、木綿も着るよ
 うになったり、また、小袖(こそで、小さい袖の、和服
 の普段着)が流行したりした。
  17世紀の初めには、出雲の阿国(いずものおくに)と
 いう女性が、「阿国かぶき」を始め、大いに流行した。
  これは、後に、歌舞伎へと発展して行く。
  また、この頃、楽器の三味線(しゃみせん)が琉球
 沖縄県)から流行して来た。
  この楽器の流行と共に浄瑠璃(じょうるり)が広まっ
 た。
  この浄瑠璃は、この後、人形あやつりと結び付いて、
 人形浄瑠璃となった。
  (参考)浄瑠璃:平曲や謡曲に発した、琵琶(びわ)・
     扇拍子による音曲(おんぎょく)の語り物と、そ
     れを承(う)け三味線を使って発展した諸派の音
     楽との、総称。
  (参考)人形浄瑠璃:三味線と浄瑠璃に合わせて人形
     をあやつって演ずる、日本固有の人形劇。
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1598年、豊臣秀吉が死す。
  スペインのフェリペ2世は、キリスト教宣教師たちを
 アジアへ派遣した。
  宣教師たちは、中国を武力征服をすることをスペイン
 へ報告した。
  そしてまた、日本への征服と利用価値があることにつ
 いても報告した。
  しかし、1598年、豊臣秀吉が死んだこの年に、このフ
 ェリペ2世も死んでしまった。
  スペインの日本征服は実行されなかった。
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1896年、ロシアと清の秘密同盟
  日清戦争が、日本の勝利で終わった翌年・1896年に、
 清国(中国)は、秘密裏にロシアと同盟条約を結んだ。
  清国は、日本への日清戦争の「復讐戦争」を企画して
 いた。
  この秘密条約は、「李鴻章・ロバノフ条約」と言い、
 ロシアか、または、清国のいずれかが、日本と戦争にな
 った場合、他方が軍事援助をするという「日本敵視の秘
 密攻守同盟」だった。
  これは、日露戦争の伏線となった。
  つまり、日露戦争は、ロシアだけと戦争をしたと思わ
 れているが、そうではなく、この秘密条約で、清国とも
 日本は戦っていた。
  日本は、日露戦争で、満州でロシアと戦ったが、その
 時、この秘密条約の清国の中国とも、満州で戦っていた。
  日本は、その様な「ロシア・清国の同盟軍」と戦い、
 満州へ進軍した。
  第二次世界大戦で、アメリカが戦勝して沖縄へ軍事進
 出したのと同じで、日本の満州での戦いも、同様な状況
 で、侵略ではない。
  「中露同盟軍」と戦い、戦勝しての満州地域の戦いと
 なった訳で、侵略などと言われるいわれはない。
  侵略と言われる理由はまったく成立していない。
  これが侵略なら、アメリカも日本への侵略となる。
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1920年代、「ワシントン軍縮条約」の1920年代は、「タガ
 をはめられた」と感じた日本があった。
  ドイツも同じく、似たような安全保障の不平等感に悩
 んでいた。
  また、国民も大変な屈辱感を抱いていた。
  それが、世論や軍部内の不満をつのらせ、やがて「ロ
 ンドン軍縮会議」をめぐる日本の政治の大混乱、そして、
 満州事変という経過となる。
  「主権の不平等」は、自国民の平静さを損する。
  「ロカルノ条約」さえなければ、ドイツにナチズムは
 起らなかった。
  例え、ヒトラーに政権ができたとしても、あのような
 過激な再軍備路線に走ることはなかった。
  今、日本は、「国家の防衛主権」を、まったく剥奪さ
 れている。
  日本は、「自ら課した拘束」だとマインド・コントロ
 ールされて来た。
  そして、最良の選択だと洗脳されて来た。
  この不安全な安全保障のハンディキャップに気付いて
 も、看過して来た。
  だが、今こそ、日本国民は自覚し、目覚めなければな
 らない。
  この状態から脱却しなければならない。
  今だに、戦後体制下に押し込められていることの「危
 (あや)うさ」に・・気付かねばならない。。
  明治時代、この点、フリー・ハンドを持っていた。
  その点、現在、独立状態になれない、「タガをはめら
 れた中」にいる。
  仮の話であるが、この点について、アメリカが、理解
 を示さないのであれば、一旦、日米安全保障条約を停止
 (破棄)すべきである。
  今・現在、確かなる変革が必要である。
  緊急事態が起きているのである。
  しっかり、憲法も改正せよ。
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1940年5月10日、アイスランド侵略
  アイスランドへ、イギリスが侵攻した。
  アイスランドは中立国である・・が・・
  イギリスは、この国を侵略した(フォーク作戦)
  イギリスは、アイスランドの重要な港を手に入れよう
 とした。
  イギリスは、アイスランドの首都(レイキャビック
 へ上陸し、侵略作戦は開始された。
  アイスランドの抵抗もなく、速やかに通信網を封鎖し
 た。
  そして、不法にもドイツ系住民(民間人)を拘束した。
  アイスランド王国政府は、同日、「この侵攻は、国の
 独立を甚だしく侵す」と抗議し・・また・・、
  「すべての損害の補償を求める」と抗議文書を出した。
  この様な歴史のあるイギリスとアイスランド
  今(2017年)、イギリスでは、「アイスランド人、お
 断り」という言葉が流行(はや)り、行き交っている。
  また、イギリスは、非常に閉鎖的になっていて、
  スコットランドの独立騒ぎを根に持っていて・・
  また、「スコットランドと言わないでくれ、グレート・
 ブリテンと言ってくれ」と言っている。
  イギリスでは、アイスランドの方たちが差別を受けて
 店にも入れないという。
  また、イングランドという言葉でなく、「グレート(
 偉大)」という語が入った「グレート・ブリテン」と言
 ってくれと言うイギリス人となっている。
  相変わらず、スコットランドは、独立したがっている。
  卑劣なイギリスから逃げたがっている・・、
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1943年1月24日、カザブランカ演説
  この日のルーズベルトカサブランカ演説で露呈した
 「ルーズベルトキリスト教マインド・コントロール
 された「シャロームの考え方」:「ドイツと日本を、完
 全破壊して後、シャローム(完全破壊の後の平和)が訪
 れる」は、米国務長官コーデル・ハルには、その考え方・
 方針が、完全に間違っているという問題点が、はっきり
 見えていた。
  ハルは、これを聞いて「復讐というほかない」と思っ
 た。
  そして、ルーズベルトの気づかぬ点に考えが及んだ。
  ルーズベルトが言うように「ドイツを牧畜農業国家に
 すると、工業力を抹殺して、この地域が安定的になり行
 くと思っているのか?」、
  「欧州経済そのものも破壊し尽くすという事に気付い
 ているのか?」
  「気づいて居ないから(こんな演説を)するのだ」と
 激しくハルは反発した。
  隣に座る陸軍長官のヘンリー・スティムソンも、「(
 徹底的破壊の)懲罰的なやり方は、必ずや、復讐心を起
 こさせ、いずれ、新たな戦争の引き金になる」と・・、
  キリスト教の「シャロームの考え方」にマインド・コ
 ントロールされたルーズベルトの考え方を批判した。
  イギリスのチャーチル首相も、みるみる怒り始め、「
 こんな馬鹿げた考え方はあるか」と、
  「イギリスを、ドイツの屍(しかばね)に鎖で縛り付
 けるのか?」と・・ののしった。
  イギリス外相のイーデンも、強い反対をした・・
  にもかかわらず、ルーズベルトの考えは頑(かたく)な
 だった。
  キリスト教は、自分たち・仲間には甘いが、他には、
 異端には、死とか、必要以上に厳しいが・・このルーズ
 ベルトも、同じだった。
  後に、スティムソンは、この時、イギリスは、ケベッ
 ク会談で、60億ドルの経済支援の約束を得ている・・
  このため、イギリスは、この借款問題があったので強
 く反対に出られなかったと明かした。
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1945年8月6日、アメリカの政治家が言った・・、
  「日本が戦争を止めたと言わなかったから、原爆を落
 としたのだ」・・と・・、
  この様な論理が、成立する訳はない。
  この論理は、言い換えれば、「お前が、喧嘩を止めた
 と言わなかったから、俺は、お前を刺したのだ」となる。
  殺すことまでする必要が無いのに、殺す行為をすると
 いう事である。
  卑劣な行為の理由にならない擁護となっている。
  つまり、是認の理由にならない理由でもって、是認さ
 せるように見誤らせている。
  だから故に、これを正当化の理由とするなら・・まっ
 たく自分勝手な、自分を正当化したいが為だけの論理と
 なる。
  つまり、愚論であり暴論である。
  どんな事情があろうが、原爆などという大量殺戮兵器
 を、当時、既にあった国際法違反の行為(一般市民の非
 戦闘員の殺戮が確実に起きると分かっている行為、その
 悪行為を意識して違反行為をした)
  過大な行為の『刺す』という行為、また、『原爆投下』
 という極悪・無益な過大な行為をした・・となる。
  アメリカの政治家の発言は、屁理屈の、まったくの子
 供の論理である。
  こんな論理を振りかざすアメリカの政治家が居るとい
 うアメリカの政界は、軽蔑の極みに成り下がっている。
  原爆開発者のオッペンハイマーは・・、
  「日本は、すでに敗けていた、原爆を落とす必要はま
 ったくなかった(投下の正義はなかった)」と言った。
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1947年3月、買い出し
  「買い出し」と言っても、今の若い方たちは、何のこ
 とを言っているのか、分からない方が多いでしょう。
  辞書には・・、
  第二次大戦中や戦後の食糧不足の時代に、都会に住む
 人が、食糧を買い求めるために農村に出かけた。
  食糧が欠乏する都市部の住民は、農村へ主食などの買
 い出しに行った・・と説明されている。
  そして、当時の写真には、食糧の遅配・欠配で、休日
 は買い出しの人で混雑する上野駅(1947年2月)とか・・
  買い出しを終え、列車に乗り込む人たち(1947年3月)
 千葉・飯岡駅、列車は鈴なりの人となっている。
  つまり、買い出しは、戦後の食糧難時代が主に語られ
 ている。
  日本の政府は、「食べ物を分け合って食べよう」と、
 配給制度を作った・・が、それも、そのうち、「欠配」
 と言って、配給制となっていた米などの食糧が配給され
 ず、食糧を得られなかったりした。
  困った日本の方たちが、そこに居た。
  栄養失調(えいようしっちょう)になって死ぬ人が居
 るくらいだった。
  これは、新聞記事に出るという珍しい事ではなく・・
 近所の某さんが栄養失調で死んだと話題になるような状
 態・・身近な状態だった。
  また、配給される合法な食べ物だけを食べることを守
 った裁判官が、「餓死する」ことも起きるという日本だ
 った。
  「法律を守る立場の裁判官」だから、「違法な食べ物」
 は食べる事は出来ないと、配給される食べ物だけを食べ
 ていた方だった。
  この頃、成年者への米の配給は「1日、お茶碗1杯」、
 代用食の大豆やサツマイモも、遅配や欠配となった。
  そこで、闇ルートとなる「買い出し」に行かなければ
 生きては行けなかった。
  写真:手に入れた食糧をリュックに入れ満員の列車に
 乗り込む人たち(1946年9月)埼玉・鶴瀬
  その買い出し列車は、超満員で、窓から乗り降りし屋
 根やデッキにまで乗客があふれた。
  値段は、米1キロ20〜40円、麦1キロ15〜25円、サツマ
 イモ1キロ5円程度だった。
  また、手持ちの晴れ着や袴、コートなどを食糧に換え
 ることが多く、箪笥の中の着物を少しづつ持ち出して、
 米などに代えた、タケノコの様に、うす皮を剥がされて
 行くので、これを、「タケノコ生活」と言って、この言
 葉が流行した。
  一般の人たちは、何でも食べていた。
  野原の草は当たり前。
  話によく出るのが「さつま芋のつる」を食べた話。
  「それでも、甘くておいしかったよ」と言う方も居る。
  「芋のつるは、良い方だったよ」という言葉も出る。
  食べる物のない時は、「芋のつる」は甘くて美味しく
 感じたよ・・大根もよく食べたよ・・空き地という空き
 地は、皆、畑にして、大根が取れれば、食べ物が無いか
 ら、毎日、大根ばかり食べていたよ・・と・・、
  誰もが「ひもじい日本」・・それでも、皆が助け合っ
 た・・そこに、優しい日本の方たちがいた。
  「向こう三軒、両隣(むこうさんげん、りょうどなり)」
 という言葉があった。
  その近所の方々と特に助け合った。
  そして、優しい農家の方たちも居た。
  農家の方たちが使うだろうと思われる「ザル」を売り
 に行くと、同情してくれて、よく買って戴けた。
  自分も竹藪を持っていて、ザルを作っているだろうに、
 困っているから売りに来るのだろうと「買って戴けた」。
  「下駄」も良く買って戴いたという。
  その優しい農家の方々へ、食糧も求めた。
  戦争が続いたので、農家の方々も豊かな食糧の備蓄が
 あった訳でもないのだろうが、その様な中から思いやり
 の食糧を分けてくれた。
  「銀シャリが食べたい」が町の人たちの夢だった。
  農家の方々も、空襲で悲惨な目に合っている町の人々
 に同情して戴いていた。
  「ヤミ米の買い出し」・・法律を逃れる「ヤミ物資」
 である。
  農家の方たちもそれを承知で、目の前の困って助けを
 求めて来ている町の人々へ・・食べ物を分けて戴けた。
  「木更津」という言葉がよく出た。感謝と共にこの言
 葉が何度も出た。
  「高崎」へも、あちこちに買い出しに行ったと・・、
 八高線に乗って行ったと・・寒い北風の中に待たされた。
  親切な方が、米を売ってくれそうな農家の方を探しに
 行っている間、寒風、吹きすさぶ中で、その返事が来る
 のを待った。
  皆が、押し合いへし合いで、帰りの汽車に乗りこんだ・・、
 線路の所に落ちた人が居て、なかなか列車が出発できな
 かったなど・・、皆が必死だった・・しかし、基本的に、
 皆・日本の人には優しさがあった。
  朝の超早くに、向こう三軒両隣(隣組)の年長の方が
 迎えに来て、一緒に出掛けた時もあった。助けてくれて
 いたのだった・・、
  ヤミ米は、当然、取り締まり対象となっていた。
  お巡りさんが摘発していた。
  「駅で、取締りしているか見て来てあげる」と・・農
 家の方が、わざわざ取締りをしているか?を駅まで見に
 行って戴いたこともあった。
  お巡りさんに捕まって、すべてを没収されて、すべて
 が水泡に帰し、悔しい思いを話したおばさん・・遠くま
 で買い出しに行ったのに・・と悔しそうに言う・・、
  戦争末期に夫を亡くして、「そういう事情なら・・」
 と許されて・・お米も没収されなくて・・裏からそっと
 出されて・・そういう事なら、それをもっと早く言えば
 「取り調べもしなかったのに」と言われた・・と・・、
  袋に入れた重い米・・それを体に巻き付ける。
  一杯持って帰りたいが、重いし、体がその米で冷える。
  お巡りさんに見つけられやすくもなる。
  プロのお巡りさんも分かっていたのだろう・・、一目
 で見破っていたのだろう・・幼い子を連れた・・若い女
 性・・幼い子を家に置いておけなくて、一緒に買い出し
 に出かけた女性・・
  この様な状況を経て生き延びた・・日本中がこの様な
 状態を切り抜けた。
  列車と言ったって、今のようなスマートな列車ではな
 くて・・蒸気機関車で・・レトロだなんて言って居られ
 る状態ではなかった・・トンネルに入ると、客席は煙が
 充満して煙くさかった・・窓を開けていると、目に煤(
 すす)が入って痛かった・・
.
1953年7月27日、朝鮮戦争の休戦協定が署名された。
  正式名称は、「朝鮮における軍事休戦に関する一方国
 際連合軍司令部総司令官と他方朝鮮人民軍最高司令官お
 よび中国人民志願軍司令員との間の協定」。
  「最終的な平和解決が成立するまで朝鮮における戦争
 行為とあらゆる武力行使の完全な停止を保証する」と規
 定した。
  そもそも朝鮮戦争は、北朝鮮の一方的な侵略開始から
 始まった。
  南側は、何ら悪くない。
  1950年6月25日に、金日成が率いる北朝鮮軍が、中華人
 民共和国(共産中国)の毛沢東と、ソビエト連邦のヨシ
 フ・スターリンの同意と支援を受けて、国境線となって
 いた38度線を越えて、南側の韓国へ侵略を仕掛けたこと
 によって勃発した。
  そして、この戦争で、共産中国は、数百万人もの国連
 軍の兵士と韓国軍兵士を殺戮した。
  しかし、この責任は問われていない。
  うやむやにされている。
  しかし、朝鮮戦争の前の戦争である大東亜戦争(第二
 次世界大戦)の日本の責任は、「しつこく問うアメリカ」
 となっている。
  日本には、国連の敵国条項(敗戦国条項)が今だに生
 きていて、適用されている(名指しされていないと言う
 が屁理屈である)
  これは、おかしいのである?
  新しい国連の在り方が作られるべきである。
  また、その後の戦争である朝鮮戦争時の・・、
  韓国へ戦争を仕掛けた北朝鮮が悪いのであって、それ
 に加担した共産中国が悪いのである。
  アメリカは、これをうやむやにして、その前の戦争の
 日本の責任ばかりを今だに問うている。
  また・・、
  大東亜戦争第二次世界大戦)で、日本と戦ったのは
 中国の蒋介石軍の国民政府軍である。
  日本が敗戦となって、この戦争の戦勝側に居た中国は、
 だから、蒋介石軍の国民政府軍が戦勝者である。
  だから、戦勝国の連合国が作った国際連合の常任理事
 国に入ったのが、蒋介石の国民政府の中国だった。
  これは、正しい筋の話だった。
  しかし、アメリカは・・またまた、アメリカの勝手な
 論理を登場させて・・日本と戦ったこともない共産中国
 を常任理事国にした。
  アメリカから離れて、勝手に歩き出したソ連
  そのソ連と冷たい戦争が始まって・・米ソ冷戦で・・、
  アメリカは、共産中国を取り込みたかった。
  共産中国を、同じ共産圏で、ソ連側へ行かせたくない
 ために・・
  1971年、台湾に居る国民政府の中国に詰め腹を切らせ
 てしまった。
  北京政権に国連・常任理事国の座を与えた。
  「平和愛好国」だとした。
  朝鮮戦争で、共産中国が参戦し、数百万人もの人々が、
 国連軍と韓国人が共産中国軍に殺されたが、その戦争責
 任を問う事が、だから、できない。
  ただただ、言いやすい相手の日本の戦争責任を、共産
 中国より以前の、昔の戦争責任を、日本の戦争責任を言
 う卑劣なアメリカとなっている。
.
1974年12月、ギリシャ共和国が生まれた。
  3人に1人が公務員という国=ギリシャ・・まったく変
 な国。
  皆が、なりたいと思うと公務員になれる不思議な国。
  1974年12月、ギリシャ共和国が生まれた。
  そして、その翌年・1975年、EC加盟が申請された。
  ギリシャには、産業と言えば農業しかない。
  そして、経済は、「高いインフレ率」を示していた。
  貿易収支は大赤字で、高い失業率であった。
  巷には失業者があふれていて、この様な状況では、E
 Cに加盟できる条件ではまったくなかったが、何故か?
 この翌年の1976年に、ECは、ギリシャと加盟の交渉を
 始めた。
  そして、1981年、ギリシャの政権が交代し、この新政
 権は、早急なECの加盟はないとしたが、その方針は転
 換され、この年・1981年に、ECの加盟条件が満足して
 いないにもかかわらず、何故か?ギリシャは、ECに加
 盟した。
  この年のギリシャの負債は、GDP比30%近くという
 異常値だった。
  しかし、この後の加盟後、ギリシャは、膨大な補助金
 を貰い、その補助金漬けが続く状況となった。
  当然、ギリシャは、この補助金漬けで『潤った』。
  しかし、これは解決につながらなかった。
  1980年代、豊かな補助金を貰い続けるギリシャは、確
 かに「潤うギリシャ」となったが、「虚構の豊かさ」の
 中にあるギリシャだった。
  ギリシャは、安楽だけを求めた。
  ECの補助金は、何ら有意義に投資される訳でもなく、
 補助金は・・どこかに消えた。
  ギリシャの借款は、1990年には、GDP比80%に跳ね
 上がっていた。
  構造改革や財政縮小の「苦が求められることは無かっ
 た」。
  ただただ、プレゼント状態の補助金だった。
  ただただ、プレゼントを貰うだけの「天国の住人状態」
 と化していた。
.
1990年、腐っているEU
  この年に、政権の座に就いたギリシャの首相は、他の
 首相と比べれば、偉かった。これが当たり前なのだが・・?
  この首相の名をコンスタンディノス・ミツォタキス首
 相と言う。
  彼は、初めて、ギリシャの財政立て直しをしようとし
 た。
  お粗末な事に、この時が初めてであった。
  しかし、長年の甘い浪費に慣れた(堕落した)ギリシャ
 国民は、彼のする種々の苦しい再建の施策に耐えられな
 かった。
  彼の政治は・・3年で終わった。
  大いなる不満が高まり充満し、爆発した。
  短命な「正当の首相」だった。
  そして、1993年に、横領の前科で辞任した前首相のパ
 パンドレウが、あっという間に返り咲き、政権の座に就
 いた。
  そして、この『政党』が、ギリシャに怪しげな事を始
 める。
  1993年には、GDPの13%が赤字だったギリシャが、
 すごい勢いで、この常態化したギリシャの赤字が減り始
 めた。
  1998年には、2.5%だとギリシャは発表した。
  ユーロ圏への加盟には、「3%以下」にならなくては
 ならない。
  ギリシャは、あっという間にこの条件をクリアした。
  2000年、晴れてギリシャのユーロ圏への参入が正式に
 決まった。
  この時、ギリシャの赤字は1%だった。
  ギリシャの財政は、素晴らしく健全となった。
  多くの専門家は、まったく信じていなかった。
  しかし、EUの担当者たち、財務大臣たちは、警告が
 あるのを無視し、目をおつぶりになった。
  そして、ギリシャのユーロ導入を認めた。
  2001年、ギリシャにユーロが導入された。
  ギリシャは、それまで、高い利子を付けなければ売れ
 なかったギリシャ国債が売れた・・ユーロの信用でよく
 売れた。
  低い金利でも、ギリシャ国債はよく売れた。
  低金利で、ギリシャは、資金を得られるようになった。
  多くの外国の金融機関が、ギリシャへ金を貸しまくっ
 た。
  本当を知っている人も、見ないふりをして儲けまくっ
 た。
  ギリシャ国民の方々は、何も知らないで、巷(ちまた)
 に溢(あふ)れる金に沸き立った。
  こんなことが、いつまでも続く訳は無かった。
  ギリシャの借金は膨れ上がっていた。
  「楽アレバ・・苦アリ」。
  キリスト教のプレゼント思想・プレゼント体質もこれ。
  楽ばかりを求める宗教=キリスト教
  ギリシャは、キリスト教ギリシャ正教の国。
.
2001年、韓国にとって、中国が最大の貿易パートナーとな
 った。
  韓国は、いつの時代も、可哀想な立場にいる。
  大国の間で、いつも揺れ動いていた。
  今、韓国が、最大限、意を配らねばならない国は、『
 中国』。
  その為に、昔からやって来た事と同じことを、今、日
 本に対してやっている。
  その様に、昔から、韓国は、「自分の立つ瀬」を作っ
 て来た。
  韓国の事大主義。
  韓国は、歴史の中、そのほとんどが、「事大主義の中」
 に居た。
  日本との併合関係を選択したのも、その事大主義から
 だった。
  「日本の侵略だ」というのも明らかに「こじつけ」で、
 日本の侵略で併合したと言う言い方が、日本との併合の
 次の時代になっているから、前の日本との併合時代を否
 定して悪く言い、今時点の事大主義による選択を肯定す
 る必要から言っている。
  (参考)こじつけ:関係のない物事を無理に理由をつ
     け関係づける。
      また、無理に理屈づける。
  今、アメリカとの関係が終了して、中国との関係へ移
 る状況にある。
  2001年から、韓国の代々の貿易パートナーは、アメリ
 カでなく中国になった。
  因みに、事大主義とは、自ら進んで「時の大国に仕(
 つか)えること」で、地位の向上と、安全を図ろうとす
 ることと説明されている。
  そして、その事大主義の韓国の中国との貿易額は、2002
 年には、30%もの急激な伸びで、ますます、中国との関
 係を緊密なものにした。
  また、2000年には、100万人の韓国人が、中国へ訪れて
 いて、中国に長期滞在する人も6万人居る。
  留学生も、1万5000人も居る。
  留学生は、今や、アメリカを抜いて中国が最大となっ
 ている。
  中国から韓国へ行く人も増加していて、2001年には、
 45万人が訪問している。
  中韓接近は驚くべき速度で進んでいる。
  韓国は、外交でも、当然の様に『中国重視』姿勢とな
 っている。
  軍関係の協力関係も、「日ごとに強まっている」。
  韓国世論も、「これからのアジアの中心は中国だ」と
 いう声が強くなっている。
  アメリカの元国防総省のジェームズ・アワー氏も言う、
 「中国が、朝鮮半島に、かつてない野心を抱き始めた」
 と・・、
  そしてまた、中国は、「東アジアへの影響力を(19世
 紀以前)のレベルにしたいとしている」・・とも言う。
  韓国は、中国の核が怖い。
  当然、北朝鮮の核も怖い。
  日本だけが・・のんびりと・・している。
.
2003年、カダフィ大佐が、大量破壊兵器の廃棄を宣言した。
  そして、核開発に関係する膨大な資料をアメリカに渡
 した。
  そこには、核弾頭の設計が「中国モデル」である事を
 はじめ、中国の関与を示すものが、多数、含まれていた。
  中国の隠れた支援があった。
  また、パキスタンの核が、中国によって造られている
 事は、パキスタンの「核の父」アブドゥル・カーン博士
 の証言などで、既に、はっきりしている。
  さらに、パキスタンは、北朝鮮にも、ウラン濃縮技術
 を提供していることが、カーン博士の証言で確実となっ
 た。
  つまり、中国から流れた核の製造技術が、パキスタン
 を通じてリビアへ流れ、そしてまた、北朝鮮にも流れた。
  そして、2018年の緊迫した事態となっている。
  すべての元凶が中国となっている。
.
2004年、欧州憲法の制定も、結局、成らずに終わった。
  民意が反映する選挙を経ない者が、EU政治を繰る。
  EU国民も、今、誰が自分たちを政治しているかを知
 らないし、知ろうともしない。
  EUは、こんな事態となっている。
  EUで決めたって各国が批准しなければ、まったく無
 関係となるから・・ついに「関心ない」になったのか? 
  例えば、2004年に、欧州憲法を制定する準備が着々と
 進んで、その調印も終わった。
  しかし、結局、批准が進まず、おじゃんとなって断念
 されてしまった。
  EU国民は、EU憲法など望んでいないことが、はっ
 きりした。
  この様な風潮を助長しているのが、今は、EUを脱退
 したイギリスだった。
  イギリスは、『団結壊し』の張本人だった。
  イギリスは、言いたいことを言って、EUの各取り決
 めや法律を採択するか?しないか?イギリスが自由に選
 べるという「イギリスの勝手し放題」を、他のEU諸国
 に公式に認めさせた。
  また、イギリスには適用されないという「特別扱いの
 条約」など、イギリスの我儘(わがまま)が通用する連
 合となっていた。
  一生懸命に決めても、ザルの様に漏れる話し合いがな
 されている。
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2016年4月8日、ギリシャの港(ビレウス港)が中国に買わ
 れて・・中国のものとなった。
  着々と進む中国の世界制覇・・、
  民主主義的な組織だとは言い難い「非民主主義組織の
 EU」。
  最高の権力を持つEU内の組織が、何らEU国民の・・
 「民衆の選択」・「選挙の洗礼を受けていない」。
  民主主義を標榜する訳のEUが、EUの民衆が、自ら
 が選択したという覚えのまったく無い人間たちによって
 牛耳られているという組織となっている。
  その組織の決定権での下で、生活をさせられている。
  そして、様々な義務が課せられている。
  矛盾の多いEUとなっている。
  ギリシャが大嘘をついてまでして、大赤字の国家財政
 を隠してまでして、「EUに入りたかった理由」は・・、
 『ユーロ』という強い国際通貨を使いたかったからだっ
 た。
  それで、大嘘つきを演じてしまった。
  不正義、極まりない行為である。
  「あの強い通貨を使うことが出来る様になれば、すべ
 てが解決する」のギリシャの行為だった。
  「あの強い通貨が、手に入れば、何でも買える」だっ
 た。
  日本人は、『円』という国際通貨を、何とも思わない
 で使って、その恩恵に浴しているが・・、
  日本は、誠実に働いて、国づくり・社会づくりをして
 来て、その努力の結果だという、しっかりした実績、し
 っかりした日本経済に支えられた国際通貨の『円』の今
 があって・・その円のありがたみは、当たり前の様に感
 じられて、何ら「そのありがたみ」を感じられない日本
 人となっている。
  世界中の国々が、円を『信用して』両替してくれる。
  しかし、「ドイツ・マルク」や「中国・人民元」は、
 ちょっと違う・・格下にある。
  ギリシャは、この様な「ユーロ」という国際通貨を使
 える国になることを夢に見た。
  自国の通貨が、一気に国際通貨になるという夢だった。
  日本が、今、世界で、円によるODAで、しっかり援
 助をしているが、この様な意味からも、被援助国の方々
 も「円のありがたさ」を感じている。
  ユーロを手にしたこのギリシャによって、今、ヨーロ
 ッパが、バラバラになろうとしている。
  誠実が一番なのだが・・、それだけ、巧妙なギリシャ
 の粉飾は、大きな罪づくりだった。
  ギリシャは、華々しくオリンピックをやったりして、
 擬制し、世界中を欺(あざむ)いた。
  (参考)擬制:ぎせい、実質は違うのに、そう見なす
     (見せかける)こと。
  世界中が騙(だま)されて、。ギリシャへ投資した。
  世界中の銀行が、ギリシャに融資した。
  逆に、これが、ギリシャを破滅に近づけ、破綻(はた
 ん)を早めた。
  ギリシャは、バブルとなった。賃金は3倍になった。
  バブルという事は、終りが近いということ。
  ギリシャ政府も、誠実ではなかった。お手上げだった
 から、その様にしたのか?
  ギリシャ政府は、まともな国家予算が立てられなかっ
 た。
  国家の破綻の終末状況だった。
  予算運営もせず、予算監視もせず、ただ、木偶の坊(
 でくのぼう)政府と成り下がった。
  借金スパイラルが回った。
  「放漫」の二字のギリシャだった。
  この様な悪の体質は、根が深かった。
  中国から借りた金も返すことが出来ずに、ギリシャ
 港を明け渡した・・
  中国の軍艦が来る港となってしまった・・中国は、イ
 ギリスにやられたことを、今、その同じことを、ギリシャ
 でやっている。
  「返済できないなら・・金は借りるな」の当たり前が
 出来ないギリシャだった。
  (参考)2016年4月10日、産経ニュース
  ギリシャは8日、同国最大の港であるピレウス港の売
 却契約について、中国海運最大手の中国遠洋運輸集団
 コスコ・グループ)と正式に調印した。
  ピレウス港は、地中海の海運の要衝で、アジア・中東
 地域から欧州への玄関口にあたり、今後、中国の欧州進
 出に拍車がかかる可能性がある。
  コスコ・グループは、中国政府の管理下にある国有企
 業で、今回の買収は、習近平指導部が主導する形で進め
 られた。
  現地からの報道では、中国側は、ピレウス港を運営す
 る国営会社の株式の67%を2段階に分け、計3億6850万ユ
 ーロ(約450億円)で取得する。
  中国側は、このほか港湾整備・開発に3億5千万ユーロ
 を投資する予定。
  当初は、株式51%分の取得にとどめ、これらの投資の
 実行を受け5年後に残りの株式を買い取る。
  中国は、すでにピレウス港のコンテナ埠頭(ふとう)
 の運営権を握っていた。
  ギリシャは、欧州連合(EU)と国際通貨基金IMF
 の支援を受けて財政再建中で、同港などの国有資産の民
 営化は支援実行の条件。
  当初は、民営化に反対したチプラス政権も現在は推進
 姿勢に転じている。
  首相府付近では、この日、民営化反対のデモも行われ
 た。
.
2016年6月23日、イギリスのEU離脱
  イギリスの欧州連合国民投票法に基づく投票が行われ、
 EU離脱が決定した。
  EU(欧州連合)に加わり、そして、居るという存在
 理由・・、
  EUの欧州連合条約に以下のような意味が書かれてい
 る・・、
  『連合は、人間の尊厳に対する敬意、自由、民主主義、
 平等、法の支配、マイノリティ(差別や構造によって社
 会的に弱い立場の人たち)に属する権利を含む人権の尊
 重という価値観に基づいて設置され・・、
  これらの価値観は、多元的共存、無差別、寛容、正義、
 結束、女性と男性との間での平等が普及する社会におい
 て、加盟国に共通する・・、
  EUに至る前の、かつては、資源やエネルギーを取り
 合う戦争ばかりの次元の低い状態から脱却したいと、
  その為には「財布を一緒にしよう」という様な高い理
 念を掲げた。
  しかし、それを、やって来てみて・・結局、行き着い
 たところは、皆が「エゴをむき出すような社会連合の姿」
 となってしまった。
  グローバリズムを標榜するが、一歩もその高い理念に
 は近づけない国々となった。
  隣の家と財布を一緒にすると言ったって、自分の子供
 には美味しいものを食べさせたいというような話で行き
 詰っている。
  レベルが、下がっているのである。
  皆が、加盟国が、結局、「わが家は、より豊かな生活
 をしたい、させたい」となってしまった。
  イギリスは、結局、EUを離脱したが・・、
  イギリスは、初めから不満が多かった。
  はっきり言って・・イギリスは、自分好みにEUがな
 らないなら、EUを去るという、「脅しでもってEUに
 迫った」が、結局は・・去った。
  EUに、色々と要求を出したイギリスだった。
  受け入れられないなら「EUを去る」のほとんど脅し
 のイギリスだったが・・EU側は、イギリスに去られて
 は困るのである。
  政治力は下落するし、アメリカへのパイプは細くなる
 し、世界の金融市場での馬鹿にならないイギリスの力も
 利用できなくなる。
  そして、イギリス離脱で、「EU懐疑派」の勢いが増
 すのが怖いという状態となった。
  イギリスのEUを離脱で、EUの統合力を増す・強く
 するという方向性はさらに弱まった。
  EUの理念も縮小し、ひびが入って行く事態を迎えて
 いる。
  標記のEUの理念がまぶしくなっている。
  イギリスは、EUによる通過自由で、イギリスに流入
 して来る多くの「東欧市民」に困った。
  そして、最近は、EU諸国に流入した難民が、通過自
 由で、イギリスを目ざして流入して来る事に困っていた(
 移民流入問題)
  EUの理念が、そっちのけで、「メリットとデメリッ
 ト」が天秤にかけられるという判断が働いた。
  標記の「EUの理念による判断」はまったく無かった。
  因みに、EU諸国の本音として・・、
  「EUの多くの国は、国の主権を移譲(ゆずる)をし
 てまでして、EUを強大にしたいとは思っていない」。
  しかし、その様に位置づけられているEU内で、水面
 下での覇権争いは、静かに、そして確実に進行していて、
 グローバル化グローバリズム何て言う大局的見地に立
 った話は『絵に描いた餅』となっている。
.
2018年1月1日、NHKのニュースが殺人事件から始まった。
  平成30年、NHKのニュースは殺人事件から始まった。
  これに対し、民放のテレビ朝日は、安倍首相の今年の
 決意や抱負を伝え、経済界首脳の今年の展望・抱負が続
 き、外国指導者の声も伝えた。
  この差は何だ?
  『殺人事件が好きなNHK』はこんなことを年がら年中
 やっている。
  NHKの殺人事件好きには辟易(へきえき)する。
  国民をまったくバカにしているNHKとなっている。
.
2018年、今、中国の核ミサイルは、日本の都市のすべてを
 照準としている。
  日本の大都市・東京・大阪・名古屋・福岡の4大都市だ
 けなどという甘いものではない。
  ちょっとした規模の日本都市のすべてに、中国の核ミ
 サイルが飛んで来るという状況となっている。
  それに対して、日本の防衛力で、それを防げるかと言
 えば・・、
  その中国の攻撃核ミサイルの1割ぐらいには「迎撃ミサ
 イルを飛ばせる」という防衛力である。
  命中率の話ではない・・、
  迎撃ミサイルで、「迎え撃つために発射できる」とい
 うレベルである。
  日本の防衛装備の力が「その程度だ」という事である。
  つまり、中国が、日本を狙って、やろうとやれば、ほ
 ぼ無防備の日本に、核ミサイルが飛んで来るという実情
 になっているという事である。
  北朝鮮も、すでに、日本に届く核ミサイルを持ってい
 る。
  アメリカに届く核ミサイルが無い現時点で何とかしよ
 うと騒いでいる状況である。
  国防を怠って来た日本は、国防をしっかり考えなけれ
 ばならない。
  『戦争』と『国防』は違うのだ。
  この肝心な「日本の国防」を行なおうとすると、日本
 国憲法が最大の障害となっている。
  平和憲法というが、日本の国防が非常に弱いという上
 記の様な状況から「まったくそぐわない状況」となって
 いる。
  「中国や北朝鮮にとっては『平和』である」のであっ
 て、日本にとっては、「まったく平和な状態ではない」。
  日本国憲法の前文は、戦後、70年を経て、まったく上
 記の様に実情に合わなくなっている。
  この憲法前文から書き直さなければならない。
  日本民族の「存亡の危機」を救えなくなっている。
  日本国憲法の前文には・・、
  「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われ
 らの安全と生存を保持しようと決意した」・・とあるが、
  決意したって、上記の様に、その様な現状ではないの
 である。
  愛する日本の人々を、「座して死を待つ」状態にして
 いる。
  その様な最悪事態に置いている状況をつくっている。
  日本国憲法の前文は・・
  「平和を愛する日本国民の公正と信義に信頼して、わ
 れらの安全と生存をしっかり保持する責任を意識し、
  しっかりした国防につとめる努力を怠らないと決意し
 た」・・としなければならない。
.
20xx年に、起こりうる可能性の高いこと・・
  1467年の応仁の乱の時には、以下のような和歌が詠ま
 れた。
  「汝(なれ)や知る、都は野辺(のべ)の夕雲雀(ゆ
 うひばり)、上がるを見ても、落つる涙は」
  (おまえは知っているだろうか、都はすっかり焼け野
 原になってしまった。
  夕方、都からヒバリが飛び立つのを見ても、涙がとめ
 どなく落ちてしまう)(「応仁記」より)
  1467年に、応仁の乱が始まり、細川氏の東軍と、山名
 氏の西軍に別れ、京都を主な戦場として、11年間、戦い
 は続いた。
  この戦いの結果、室町将軍の権威が衰えた。
  また、古くからの大名の実権も衰えた。
  下の者が実力を持ち、新興の大名が生まれた。
  山城(やましろ京都府)では、地侍(じざむらい)
 らが守護を追放して、8年間の自治を行なう山城国一揆
 起こったりした。
  また、加賀(かが、石川県)では、浄土真宗の信徒ら
 が、守護大名の支配に反抗して一向一揆を起こした。
  信徒らによる自治は、約100年間つづいた。
  この戦乱が、日本で最大と言われているが・・
  今・現時点で思えば・・まったく小規模な戦いである。
  今、日本は、「日本全土が焼け野原になってしまう」
 「日本全土が蒸発してしまう」という危機にある。
  20xx年に、国防を怠った日本国民が、天国へ行って、
 天国で日本の先人たちが・・核攻撃の対処をしなかった
 日本国民の大打撃・消滅を見て、「落つる涙は」と詠(
 うた)うだろう。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive