(増補版)574E2/3:2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1893年1月〜1893年1月)

題:(増補版)574E2/3:2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1893年1月〜1893年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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1893年、歌・流行・世相:
・流行:松の内に、トロロ汁を食せば、感冒にかからない
  という行為が流行し、山芋の値段が急騰した。
・流行:芸人の間で写真入の名刺が流行る。
・流行:碑を建てること
・流行:花合せ(3人で遊ぶ花札の遊戯のひとつ)
・流行:紙風船(花びら形の色紙を、袋状にはり合わせて
  作った玩具。息を吹き入れて膨らませ、手のひらで打
  ち上げて遊ぶ)
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1893年、発明:
ディーゼル(ドイツ)が、ディーゼルエンジンを発明し
 て自書で原理を理論的に解説した。

1893年、医・衛生:
天然痘流行で11852人が死亡し、また、赤痢で41284人が
 死亡した。
.
1893年、環境・災害・防災:
・1890年代、バッファローアメリカ・バイソン)が、ア
 メリカの大地から姿を消す状態になった。
  絶滅寸前となった。
  1000頭を割った(約750頭というデーターがある)。
  白人のキリスト教徒が現れる前のアメリカバイソンの
 生息数は、約60,000,000頭も居た。
  この様に多かった野牛を白人アメリカ人は殺した。
  99.9987%のアメリカバイソンを、殺してしまったとい
 うアメリカ人だった。
  0.0012%しか生き残っていなかった。
  日本へ鯨のことでとやかく言う資格はない。
  更にひどい事に、この様にした行為の理由が、このバ
 イソンは、アメリカ・インディアンの方々(先住民)の
 大切な食糧だった。
  アメリカ・インディアンの方々の絶滅作戦の一環でこ
 のバイソンを射殺しまくった(非人道的な極悪行為)
  そして、そのバイソンを食べる訳でもなく、そのまま
 放置し、腐るがままにした(動物愛護の話もあったもの
 でもない)。
  1870年代中期の写真がある。
  バイソンの頭骨を積み上げた山の写真。
  その山の頂上で、白人アメリカ人が誇らしげに立って
 いる。
  この関係者が集めただけでも、この様な山のようなバ
 イソンが殺されたことを示している。
  30メートルもの高さがあろうかという巨大なバイソン
 の頭蓋骨の山・・そして、今・現在、そのアメリカ・イ
 ンディアンの方々が絶滅に瀕(ひん)しているという現状。
  非人道的な話この上ない卑劣な話である。
  衣食住のすべてを、バイソンに支えられていたアメリ
 カ・インディアンの方々だったのに・・、
  長い歴史の中で、このように暮らしを育んで来たアメ
 リカ・インディアンの方々のすべてを奪い取った。
  白人アメリカ人は、自分だけ良ければ良いというキリ
 スト教の教えに洗脳されて、この様な最悪行為をしたの
 だった・・キリスト教の神の義があれば、やってもいい
 のだという「まったく勝手な教義」に洗脳された輩の行
 為だった。
  アメリカ政府が、その行為を率先して奨励していた。
  卑劣極まりない。
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1893年、その他:
清水次郎長が死去した。
・自殺者調べ、1887年:5,823人、1988年:5,256人、
       1889年:5,852人、1990年:7,479人、
       1991年:7,499人、1992年:7,240人、

1893年1月1日、「度量衡法」が施行された。
  度量衡取締条例(明治8年8月5日太政官達第135号)を
 継承して、1891年3月24日に公布され、
  1893年明治26年)1月1日に施行された(明治24年3月
 24日法律第3号)
1893年1月7日、星亨が、自由党の演説会で改進党を攻撃す
 る演説を行い、両派が対立した。
  改進党との対立が激化の結果、自由党は、政府の伊藤
 博文に接近して行った。
  1893年1月12日、衆議院は、明治26年度(1893年度)予
   算案を修正(軍艦建造費削減、官吏俸給・官庁経費
   の減額など871万円を削減)して議決した。
  1893年1月16日、政府が、「予算案修正は不同意」と表
   明した。
  1893年1月23日、衆議院が、内閣弾劾上奏案を上程し、
   15日間の停会を命じられた。
  1893年1月26日、貴族院が、田畑地価修正法案を否決し
   た。
  1893年2月7日、衆議院が、181対103で、内閣弾劾上奏
   案を可決した。
  1893年2月10日、「在廷ノ臣僚及帝国議会ノ各員ニ告グ」
   の詔書が出された。
   内容:「軍備拡張のため、内廷費毎年30万円ずつ6年
   間下付、同期間中は文武官俸給の1割を納付させて製
   艦費補助にあてることを命ずる」(建艦詔勅・和衷
   協同の詔勅)。
  1893年2月22日、衆議院が、予算案を修正(製艦費を認
   め262万円のみ削減)し、可決した。
  1893年2月26日、貴族院が、修正予算案を可決した。 
1893年1月8日、全国新聞記者同盟が、「新聞紙条例」の改
 正運動(交渉)を開始した。
  そして、1893年2月に、出版法・版権法、集会及政社法
 が先に成立した。
  その出版法・版権法の条文には、「新聞紙法」の文字
 が盛り込まれており、新聞紙法の成立が織り込まれてい
 たにもかかわらず、結局、新聞紙法案は同議会において
 成立をみなかった。
  そして、1897年、第10議会に、ようやく条例改正とい
 う形で改正が実現した。
  新聞紙条例改正は、議員によって他の言論関係条例の
 改正よりも重視されていたにもかかわらず、その改正の
 ハードルは高く、改正の実現に時間がかかった。
1893年1月16日、アメリカがハワイを奪い始めた。
  アメリカ公使の要請によりアメリ海兵隊がイオラニ
 宮殿を包囲した。
  1893年1月17日、共和党が政府庁舎と占拠し、王制廃止
   とハワイ臨時政府樹立を宣言した。
  1893年1月22日、ハワイ王国でリリウオカラニ女王が廃
   位された(ハワイ王国の滅亡)
  1893年1月16日の出来事・・、
  ハワイのカメハメハ王朝の滅亡への策謀・・、
  アメリカ合衆国の息のかかったものが実権を得た。
  アメリカ合衆国からの移民で、アメリカと関連の深い
 サトウキビを扱う業者らが、さらに親米的な政権を打ち
 立てるため、政権の転覆を計画した。
  アメリカ海軍の軍艦ボストンは、首謀者サンフォード・
 ドールとロリン・A・サーストンを保護する名目でホノル
 ルに到着し、リリウオカラニは幽閉状態となった(デッ
 チアゲによる政権転覆)
  1月17日、ドールはハワイ臨時政府を打ち立て、王政の
 廃止を宣言した。
  翌年の1894年7月4日に、ドールはハワイ共和国の成立
 を宣言し、同国の最初で最後の大統領となった。
  サンフォード・ドールは、アメリカ合衆国メイン州
 身の白人のキリスト教プロテスタント宣教師の家に生ま
 れた。
  そして、ハワイに移り住み、アメリカ合衆国の多国籍
 企業であるドール・フード・カンパニーを創業したハワ
 イのパイナップル王を従弟(いとこ)に持った。
  ドールの家はハワイで政治的な力を持って行き、また、
 ドールはハワイ王の弁護士となった。
  そして、1887年に至って、アメリカ合衆国系の経済人
 や政治家やサトウキビ農場主らが結成した政治組織・ハ
 ワイ連盟が武装蜂起に参加した。
  そして、白人市民たちが民兵組織を作った。
  そして、アメリカ合衆国生まれのドールは、その民兵
 の武力組織を後ろ盾にハワイ王の退位を迫った。
  そして、アメリカ人たちの系統の政治組織・ハワイ連
 盟は、ハワイ王・カラカウアに退位の代わりにアメリ
 人のサーストンの起草して作った憲法を受け入れる様に
 迫り、受け入れさせた。
  この憲法は白人のみに投票権があるとした。
  不公正なそして不平等な憲法であった。
  そして、先住民のハワイ人を排除する目的で、一定以
 上の収入や資産があることを条件としていた。
  結局、アメリカ合衆国から来た白人のアメリカ系およ
 びヨーロッパ系の者たちだけに選挙権があるという憲法
 だった。
  これで選挙をすれば結果は明らか、表面は合法的に見
 えるが、不公平な基準のもとに白人のアメリカ系とヨー
 ロッパ系にハワイは乗っ取られることになった。
  この不名誉な憲法を武力で認めさせたので「銃剣憲法
 と蔑(さげす)んで言われている。
  ハワイ王及びハワイ王室および大多数のハワイの先住
 のハワイ人の方々は実権を失った。
  ドールは最高裁判所判事になった。
  この後、余りにも横暴な白人のやり方に、ハワイ王の
 妹のリリウオカラニ女王が、1891年に、白人と対立して
 即位した。
  そして、白人が銃剣で作った憲法を廃案にして新しい
 憲法を起案した。
  ハワイは騒然となった。
  白人たちは危機感を持った。
  1893年1月16日、アメリカ合衆国は、アメリ海兵隊
 出動をさせ、ハワイ王宮・イオラニ宮殿を包囲した。
  翌日の1月17日には、ハワイを銃剣憲法で奪った白人た
 ちは、ハワイの政庁舎を占拠した。
  そして、ハワイの王政は廃止だと宣言した。
  そして、臨時政府が打ち立てられたのだと叫んだ(宣
 言した)。
  ドールは大統領に就任した。
  そして、合法政府だと周りの国に言わせた(承認させ
 た)。
  臨時政府は、アメリカ合衆国と併合したいと意思表示
 した。
  そして、ハワイの臨時政府の大統領にアメリカ合衆国
 の大統領が兼務する形で就任した。
  その後、報告書が出されるなど、半分、演技と思われ
 ることをやったりしたが、結局、ハワイは、アメリカ合
 衆国の一つの州となった。
  今、大多数だった先住民のハワイ人の方々は影も形も
 ない。
  この最後のハワイの女王であるリリウオカラニ女王の
 心を謳った、若い女王によって作られた「アロハ・オエ」
 がある。
  この歌は、白人たちの横暴を暗喩していると言われて
 いる。
  強引な国を乗っ取る行為に抗議していると言われてい
 る。
  また、女王は日本へ助けを求めたという話もある。
  多くの日本人が居たことも関係していると考えられる。
  その日本人たちの誠実な生活態度を見ているからだっ
 た。。
  1893年ハワイ王国の滅亡への動きは下記・・
  ハワイ王国のリリウオカラニ女王が、アメリカとの不
 平等条約を撤廃する動きをみせると、これに強く反発し
 たアメリカ系移民であるアメリカ人農場主らが、アメリ
 カ海兵隊160名の介入・侵略をさせて、ハワイ王国を滅
 亡させてしまった。
  ハワイ王政を潰(つぶ)して「臨時政府」を樹立した。
  完全な元アメリカ人のハワイ移民を使ったアメリカの
 傀儡(かいらい、人の手先となって思いのままに使われ
 る)のハワイへの乗っ取り行為・侵略だった。
  この時、日本は、あまりにも卑劣な行為の侵略である
 ので、邦人保護を理由に、東郷平八郎の率いる巡洋艦
 浪速」他2隻をハワイに派遣した。
  そして、ホノルル軍港に停泊させて乗っ取り勢力・偽
 クーデター勢力を威嚇した。
  先住民の正統政府のハワイ王国女王を支持する先住民
 らは、日本の軍艦の来航を涙を流して喜び歓喜した。
  また、ハワイ在留日本人も、先住民の方々の女王支持
 派と同じ気持ちで行動をとった。
  しかし、アメリカによるハワイ併合は、この年・1898
 年に実現されてしまった。
  そして、その66年後の1959年8月21日、アメリカは、ハ
 ワイをアメリカの州とした・・当初の目的どおり・・
  今、中国が、このアメリカと同じことをやっている。
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  (今日の言葉)
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  題:今、中国が、このアメリカと同じことをやっている。
   そして、富を吸われ続ける庶民は、もっと怒らなければならない。
   そして、外国から「ポルノレベルだ」と軽蔑されている。
   そして、何故?、日本の自衛隊は、アメリカ軍に信用されて、
       韓国軍は信用されないのか?
   そして、EUでは、どこの国も本音は移民に大不満。
.
紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシャのダリウス大王が、西
 はエジプト、トルコから・・東はインド国境におよぶ史
 上最初の大帝国を建設した。
  そのダリウスが、自分の宮殿として作らせたのがペル
 セポリス。
  ペルセポリス:ペルシアのダリウス(ダレイオス1世と
 もいうペルシャの3代目の王)の建設したアケメネス朝の
 首都で・・、
  紀元前330年、アレクサンドロス大王によって破壊され
 た。
  現在のイラン南西部の都市・シーラーズの近郊に遺跡
 が残っている。
.
紀元前5世紀、オリエント世界の最初の大帝国の統一者・ダ
 リウス一世とクセルクセス王が、三度、ギリシャの奥深
 くに侵入し、戦ったが、スパルタやアテネの連合軍に敗
 北した(ペルシャ戦役)。
  この後、アテネは繁栄し、ギリシャ文化が完成した。
  これを通して、世界文化への貢献したという点で、画
 期的な意義を持つ。
.
紀元前331年、ペルセポリスの裏に「慈悲の山」と呼ばれる
 丘がある。
  そこに登り眺めると、この年、アレクサンダー大王
 軍によって放火された「ペルセポリス炎上」の情景がよ
 みがえる。
  このマケドニア王の侵略戦争によって、どれだけのハ
 レムが燃え、女たちが引きずられ、男たちが虐殺された
 事であろうか・・、
  それからこの宮殿も焼失し、砂に埋もれ、ペルシャ
 幾度も異民族の支配を受け、王朝も四転五変した。
  そして、1925年に、パーラビ王朝が成立し、イランの
 独立がなった。
.
1582年6月21日、本能寺の変
  織田信長が、本能寺で「明智光秀が謀反(むほん)」
 と聞いた時、「是非(ぜひ)に及(およ)ばず」と言っ
 た。
  「信長公記」に書かれた言葉。
  信長の近くにいて、生き残った奥務めの女性が、この
 言葉を聞いていた。
  良し悪しなんかを判断したりする必要は無い!
  議論する暇などない、四の五の言わずにやれ!
  光秀をとやかく言うとか、和睦なんかとかに頭を巡ら
 す暇などない・・攻めてきたのなら戦うだけだ!
  蘭丸から「明智が者と見え申し侯」と聞いただけで、
 聞き返し確認することもなく、また、その他の情報を得
 ようともしなかった信長だった・・
  すべてを、その一言で分かった信長・・明智ならやる
 だろう・・と・・、
  この「是非に及ばず」を聞いた後、信長から離れてい
 た信長の息子である織田信忠がいる妙覚寺へ駆け込み、
 救援を求めた人物が居た。
  その人物を弥助と言い、キリスト教宣教師のアレッサ
 ンドロ・ヴァリニャーノが所有する黒人奴隷だった。
  救援に向かった信忠、戦い敗れて(多勢に無勢)この
 弥助は捕らえられる・・しかし、光秀は解放した。
  そして、後、結城秀康の側近として仕えたという。
  結城秀康は越前北の庄藩の初代藩主、そして、越前松
 平家宗家初代。
  因みに、この黒人の弥助は、勇敢に秀光軍と一生懸命
 戦ったという。
.
1808年、フェートン号事件
  イギリスの軍艦のフェートン号が、長崎港に侵入した。
  そして、当時、イギリスと対立していたオランダの長
 崎商館をイギリスへ渡せと要求した。
  そしてまた、オランダ人を2人を捕らえたり、乱暴狼藉
 をした。
.
1837年、モリソン号事件
  日本は、1825年に異国船打払令を出していた。
  その12年後の1837年、浦賀(神奈川県)に、アメリ
 船のモリソン号が来た。
  幕府は、モリソン号を砲撃し打ち払った。
  高野長英は、1838年に、日本の近海にはイギリスが支
 配する国が多くある。
  イギリス船は絶えず航行している状態で、この後、日
 本が海上輸送をするようになった時、その様に外国船の
 打ち払いをやっていては、今度は、逆に、日本の海運の
 邪魔をするようになるだろう」と言った。
  (注:高野長英は、イギリス船と勘違いしていた)
.
1890年、「うたかたの記森鴎外の短編小説が、雑誌「し
 がらみ草紙」に発表された。
  識者は憂えた。
  1886年8月13日の夕の7時、バワリア王ルードビッヒ2世
 は、発狂し、ステルンベルヒの湖に身を投げ、死んだ。
  王は恋に悩んでいた。
  ドイツ留学中の森鴎外は、この事件に、驚き、心に衝
 撃を受け、1篇の創作をした。
  「うたかたの記」である。
  この時、鴎外自身も、あるドイツ少女と恋し、「うた
 かたの恋」を経験していた。
  鴎外が日本へ帰国した後、この少女は、鴎外を追い、
 日本へ来た。
  遠い日本へ、一心、はるばる来た、その娘を、鴎外は
 追い返した。
  若い鴎外に、その悲愁が、湖水に投身した美貌のバイ
 エルン国王に重なった。
  国王は、国の十数万の民の事も忘れ、恋に囚(とら)
 われたという。
  急峻な山の中にある国、その山の中腹に、贅沢な城を
 築いた。
  大工事に多くの犠牲になった民が居た。
  「国王のロマンの中の民」へ心がおよぶ。
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1895年、孫文が日本へ逃れた。
  日清戦争終結後に、孫文は、広州での武装蜂起(広州
 蜂起)を企てたが、密告で頓挫し、日本へ亡命した。
  1897年、宮崎滔天の紹介によって、政治団体玄洋社
 の頭山満と出会い、頭山を通じて平岡浩太郎から東京で
 の活動費と生活費の援助を受けた。
  また、住居である早稲田鶴巻町の2千平方メートルの屋
 敷は犬養毅が斡旋した。
  長い間、清朝満州民族の植民地にされていた漢民族
  その漢民族孫文は、「独立したい」「辮髪もやめた
 い(満州族の風習)」と言ってきた。
  この年・1897年、宮崎滔天らの援助で東京府池袋にて
 興中会、光復会、華興会を糾合して中国同盟会を結成し
 た。
  ここで、東京に留学中の蒋介石と出会った。
  清朝没落の前後、中国各地は、革命軍が放棄して大動
 乱の兆しが満ちる中国だった。
  1911年10月10日、共進会と同学会の指導のもと、武昌
 蜂起が中国で起きた・・各省が、これに呼応して独立を
 訴える辛亥革命に発展した。
  当時、孫文アメリカにいた。
  独立した各省は、武昌派と上海派に分かれ、革命政府
 をどこに置くか、また、革命政府のリーダーを誰にする
 かで争った・・、
  1911年12月25日、孫文が、上海に帰着すると、革命派
 はそろって孫文の到着に熱狂し・・、
  翌年になって・・1912年1月1日、孫文を臨時大総統と
 する中華民国が南京に成立した。
  孫文を大総統に推戴(すいたい、おしいただくこと)
 する臨時政府が南京に樹立されて、国号を中華民国と改
 め、黄竜旗を廃して五色旗を掲げた。
  しかし、間もなく、旧軍閥を背景とする袁世凱(えん
 せいがい)が、共和政体を宣言するに至ったので、孫文
 は、事態を円滑に収拾するため、彼に地位を譲った。
  だが、政党の乱立と軍閥の割拠が前途多難を思わせる
 時代だった。
  この様な中国に、各国が政治的介入をした。
  この様な中、袁世凱は、軍備と財政の強化を図りたい
 と、この各国から借款を仰いだ。
  これに、イギリスが大きくかかわった。
  中国には、大国の各国が、複雑に関わっていた。
  この様な形で強くなった袁世凱政権は、孫文の民主革
 命派に弾圧を加えた。
  敗れた孫文は日本に逃れ、中華革命党を組織した。
  1914年(大正3年)7月のことだった。
  この月に世界大戦が起こった、8月に、日本が参戦した。
  日本は、イギリス軍とともに協力して、青島(チンタ
 オ)のドイツ要塞を包囲し・・、海軍は、南下してドイ
 ツ領南洋諸島を攻撃し上陸した。
  1897年〜1898年にかけて、列強各国は、中国に独占的
 な特殊権益を獲得して来ていた。
  例えば、イギリスは長江流域に、ロシアは東三省(と
 うさんしょう、中国東北部)、フランスは広東、広西(
 こうせい、広西チワン族自治区)、雲南など・・を。
  日本は、この時、初めて、これ等の列強各国の様な山
 東省を得た。
  これまでのヨーロッパ諸国やアメリカによる中国大陸
 植民地化の歴史に、この時、日本も入った。
  また、満蒙に大きな脅威を築いてきたロシアに対して
 の、防衛地帯を築けた。
  日本産業の原料市場と消費市場が出来た。

1917年2月23日、ロシア革命二月革命
  ペトログラードで国際婦人デーにあわせてヴィボルグ
 地区の女性労働者がストライキに入り、デモを行った。
  食糧不足への不満を背景とした「パンをよこせ」とい
 う要求が中心となっていた。
  他の労働者もこのデモに呼応し、数日のうちにデモと
 ストは全市に広がった。
  要求も「戦争反対」や「専制打倒」へと拡大した。
  ニコライ2世は、軍にデモやストの鎮圧を命じ、ドゥー
 マ(ロシアにおける議会)には停会命令を出した。
  しかし、鎮圧に向かった兵士は次々に反乱を起こして
 労働者側についた。
  (史料)ロシア革命の時、ハルピンは無政府状態に陥
 (おちい)り、本月7日同地総領事は外務大臣に出兵準備
 を請願したる次第なり。
  9日黒沢中佐よりの電報によれば過激派の外務大臣トロ
 ツキイは、労兵会にて、日本は露国に宣戦することなか
 るべきも自己の為め如何なる奇策を行なうやも計り難し
 と述べたり。
.
1924年12月、中国の錦朝線が開業した。
  中国(支那)大陸における最大の利権国であるイギリ
 スが、満蒙の利権や儲け話を掘っておくわけはない。
  錦州から赤峰に至る錦赤鉄道を計画し、その第一歩と
 して錦州から朝陽に至る錦朝鉄道の敷設権を秘かに獲得
 していた。
  たまたま第一次世界大戦があって着工が遅れていた。
  この様なイギリス利権に対し、日本も、同様な利権を
 求めた。
  しかし、日本人が一生懸命努力をしても、イギリス人
 たちに、その利権はさらわれて行った。
  歴史・・、
  1921年4月、錦州駅〜北票駅間の建設が開始された。
  1924年12月、「錦朝線」として開業した。
  1933年2月、金嶺寺(現:北票南駅)〜凌源駅の建設が
   開始された。
  1933年10月、凌源駅〜平泉駅間の建設が開始された。
  1934年4月28日、平泉駅〜承徳駅間の建設が開始された。
  1936年6月16日、錦州駅〜承徳駅間が全線開通して「錦
   承線」に改称された。
  1938年11月、承徳駅〜古北口間が開通し、「錦古線」
   に改称された。
  1945年、日本の敗戦、および、国民党軍の補給路遮断
   のために共産党軍によって古北口〜承徳間が廃止さ
   れた。
  1953年、京承線建設のための測量が開始され、承徳〜
   古北口の旧線は大坡道〜拉海嶺間の連続四段スイッ
   チバックが非常に非効率であることから、新線を作
   り直すことになる。
  1960年、承徳〜古北口間が新線が開通し、京承線とし
   て開業した。
  全長は、447キロメートル。
  中国からは感謝の言葉の一つもない。
.
1929年、大恐慌が起きた。
  アメリカ・イギリスの先進諸国は経済的打撃が大きく、
 大幅に経済が縮小した。
  しかし、日本及び日本傘下の朝鮮・台湾は、若干、停
 滞する程度で、経済が発展し進展した。
.
1932年3月1日、満州国が建国された。
  日本は、満州の建国を応援した。
  その建国の理念に「五族協和」があった。
  しかし、民族のるつぼというべきカナンの地の宗教=
 キリスト教には「異民族排斥の考え方・教義」の「異教
 徒は殺せ」があった。
  しかし、この様な考えとはまったく違う理念「五族協
 和」の下に満州は建国された。
  日本が応援する満州には、満州人(女真族)も、ウィ
 グル人も、モンゴル人も、「皆、懐に抱かれる」の考え
 の下にあった。
  しかし、今・現在(2017年)、この地に満州人はまっ
 たく居なくなったという・・殺されたのか? 移住させ
 られたのか?
  そして、今・現在(2017年)、中国は、チベットの地
 へも、ウィグルの地へも、モンゴルの地へも、漢民族
 大量に入れて(移住させて)、どの地域も一番多い民族
 は漢民族という地へと変えた・・
  その様な形で、国柄を変えて、すべてが漢民族の地と
 している行為が行なわれている。
  沖縄が、北海道が、この様な憂き目にあわないとは言
 い切れない状況の現在となっている。
  対馬は、韓国人の移住が酷(ひど)いという。
  中国は、武力を伴う「力によって」この行為を遂行さ
 れている。
  チベットの場合、チベット仏教の僧侶の方々が、自分
 の身を焼くという悲惨な形の抗議行動を行なっている。
  2016年の時点で、160人以上の僧侶の方々が、尊いこの
 行動をなされた。
  ベトナム戦争時においても、アメリカの「力による抑
 圧」に対し、ベトナムの仏教僧侶の方々が、やはり、焼
 身することによって抗議活動がなされた。
  まったく痛ましい事である。
.
1938年、日本・朝鮮・台湾がつくるグループは、1913年以
 来、飛躍的に発展した。
  F・ヒルガート著の「工業化の世界史」には、世界各
 国の工業生産の伸長率が記されているが・・、
  その著によれば、1913年=100として、1938年の時点で、
 1番伸長したのが朝鮮で560(5.6倍)、2番が日本で510
 (5.1倍)、3番が台湾で490(4.9倍)となっている。
  これに対し、アメリカは150(1.5倍)、イギリス120
 (1.2倍)である。
  この数字を見ても、いかに素晴らしい発展を、日本・
 朝鮮・台湾がしていたかがわかる。
  韓国は文句を言う理由はない・・
  アメリカ・イギリスの4倍以上の伸長をして発展をして
 いた。
  この時の世界の平均の伸長率が180であるから、アメリ
 カ・イギリスが特に悪いと言う訳ではない。
  この時代は、不景気の時代であった。
  その影響下に、それなりにアメリカ・イギリスも受け
 けていたという所だった。
  ただ、日本・朝鮮・台湾のグループは、その世界不況
 の影響を受けずに、破竹の発展を遂げていた。
  だから、台湾は、日本統治時代を感謝している。
  国が発展したと、しかし、朝鮮・韓国は、この事に、
 まったく触れずに日本を貶(おとし)めてばかりしてい
 る。
  恩を仇で返す国となっている。
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1947年6月8日、日教組日本教職員組合)が出来た。
  日教組は、子供たちの「個性を育てるのだ」とか、「
 感性を育てるのだ」とかという理屈で、何でも好き勝手
 に、教師自らやり、また、子供たちにやらせていて、そ
 れを良いとしている。
  この「個性」と「感性」を育てるという名目で、日教
 組は、子供たちを「自由放任」にする。
  下手に日教組の教師が口を出さない方が「良いのだ」
 という方針でいる。
  だから、子供たちの思った通りのことが出来る。
  そして、「何でもあり」の状態となる。
  卒業式でクラッカーを「バン!」と鳴らす。
  「個性のある卒業式ではないか」という理屈で問題に
 されない。
  この様な子供たちが育って、成人式の式場でも、クラ
 ッカーを「パン!」と鳴らす、
  酒に酔って式場で大声を上げる・・
  この様な人間が出来てしまう・・日教組方針の教育の
 結果がこの状況となっている。
  教師が口を出さないという日教組方針は間違っている。
  何ら指導をされない子供たち・・子供たちの教育を受
 ける権利が無視されているという状況にある事に、日教
 組は気付かない。
  放任していることで・・個性が育てられているので・・
 教育しない放任が「教育なのだ」と日教組は言う。
  これは詭弁である。
  キリスト教徒のアメリカ人たちは、アメリカに渡って
 来た初期に、厳寒期のアメリカの厳しい環境の地で越冬
 ができずに、若い女性を殺して食したが、この殺人を越
 冬のために殺したのだと、「悪」という論理を薄めたり、
 隠したりしているが、この論理と同じ詭弁なのだ。
  日教組も教師の立場を放棄している事に気付いている
 が、気付かないふりをしている。
  また、中には洗脳されて気付きもしない教師がいる。
  教育の破壊現象が起きている。
  教師の本分が尽くされていないのを気付かない。
  悪の指導をしている日教組は、鉄面皮に、半分、悪と
 分かっていても「よし」としている。
  卒業証書を校長先生から、後ろ向きでもらったり、背
 中に、垂れ幕を付けた服装で卒業式に出たり・・、
  教師もジーパンとジャージーで・・「アメリカの作業
 服姿で出席」したり、国旗・国歌をないがしろにしたり・・、
  この様な「何ら指導がなされていない」状況にしてい
 る日教組の指導方針に問題の原点がある。
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1971年、この頃のトルコ労働者の夢は、西ドイツやスエー
 デンに行き、そして、働き、そこで、ドイツの女性と結
 婚して、永住して、もう二度とトルコに帰って来たくな
 い、
  そして、今、大量に人々は流れている。
  このトルコ・・まだ、9割の家に電気が来ていない。
  ドイツの産業は、安い労働力だと大喜びしている。
  今、日本も同じことをしている・・中国人と韓国人の
 大量流入となっている。
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2013年3月11日、東日本大震災二周年追悼式が行われた。
  東日本大震災の震災一周年の追悼式で、民主党政権
 台湾にひどいことをした。
  台湾代表は、各国大使と同じ席すら与えられず、一般
 の招待者と同じ二階席に行かされ、指名献花も無かった。
  総額300億円近い、アメリカに次ぐ額の募金をしてくれ
 た国に対して、この態度は極めて失礼と言う以上に非人
 間的だった。
  二周年追悼式は、自民党の時は、台湾を国賓として参
 列して戴いた。
  中国と南北朝鮮は欠席した。
  中国は、台湾を国として認める態度に反発した。
  韓国の欠席理由は、いつもの様に「意味不明の話」が
 伝わってきた。
  ここに記すのも馬鹿々々しい話だった。
  安倍首相は、台湾を国賓として参列して戴いたことに
 ついて、「礼節を大切にしたい」と語った。
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2016年4月15日、アメリカの1%か、せいぜい数%の大金持
 ちが、富の99%を所有している。
  まったく不公平なキリスト教国・アメリカという国で
 ある。
  この富の不平等さは、「まったく卑劣だ」と・・唾棄
 する以外にない。
  当然、『民の富を収奪しなければ』こんなことが出来
 る訳がない。
  99%の大多数の民の富が、せいぜい数パーセントの大
 金持ちによって奪われるという封建状態の政治となって
 いる。
  これを、「格差」という言葉でマスコミは綺麗に表現
 する・・「掠奪状態的だ」などと露骨に糾弾したりはし
 ない。
  そして、この格差は、「ますます、拡大している」。
  こんなきれいな表現で、この問題を終わらせてはいけ
 ない。
  合法的とされる現行の法律規制のなかで、民の富を収
 奪している「ほんの一部の金持ちたち・富豪たち」。
  民へ利益還元すべき事も行わずに・・
  「民への分配」をしないから、この富豪たちのところ
 に富が、『ますます蓄積』されて行く。
  当然、社会システムが、適切ではないのだと言える。
  適切なら・・こんな極端な状況になる訳はない。
  この調整の方法の一つが「税制」である。
  税の財源を、当然ながら富が蓄積している所へ求める。
  それが当たり前なのだが・・
  金持ちや、富を蓄積している大企業へ求めるのが当然
 なのだが・・、
  ここにグローバル化なる「お化け」がある・・
  グローバル化が進んでいるので、税を高くすると、恩
 になった母国を、恩も何も関係ないと、その母国を出て
 行ってしまう。
  だから、「おいしいグローバル化への道」を大きな声
 で叫ぶ輩・グループが居る。
  ある意味でキリスト教グローバル化を利用したいた
 めにグローバル化を叫んでいる。
  大企業やお金持ちが、逃げて行っては母国にとっては、
 元も子もなくなってしまう。
  今、世界一の投資家が、アメリカからシンガポール
 移っているが、個人的にもこの様な事がなされているが、
 (そして、子供には中国語を習わせているという)この
 様な事が簡単になされてしまう。
  限りなく税金を0へ向けて行かねばならないという性格
 を持ってしまう。
  むやみやたらに大企業に税はかけられない。
  逆に、大企業が国外に逃げるのをつなぎとめる様にと
 税金を安くする行為がなされている。
  または、逃げた大企業は戻っておいでと・・
  これを、今、アメリカのトランプ大統領がやっている。
  そしてまた、他国の大企業に進出してもらいたい国は、
 税金を安くして大企業誘致に懸命になる・・大富豪も同
 じに・・、
  税金の安い海外へ資産を移したりしないようにと・・
  その様なことのできない大多数の貧民は、「それは税
 金逃れだ」に見える・・
  それを躍起にやる世界になっている。
  (読売新聞、2016年4月15日)で、三木義一氏が、税負
 担を軽くするには「節税」「脱税」「租税回避」の三つ
 があり・・、節税は合法、脱税は違法、税制回避は節税
 と脱税の間にあるグレーゾーンだと言う。
  租税回避が、「タックスヘイブン」だ。
  (参考)タックスヘイブン:「租税回避地」という意
     味で、外国資本&外貨獲得の為に、意図的に税
     金を優遇(無税または極めて低い税率)して、
     企業や富裕層の資産を誘致している国や地域。
  産業が無い国や地域が、外国から投資を呼び込むのに
 つかっているが・・有効。
  「パナマ文書」が世界で取り沙汰されている。
  利益追求する大企業が、活用したいという面があり、
 利益拡大を求める大株主も租税回避を促している面があ
 る。
  多くの税負担をすべき富裕層や大企業が、国境の外へ
 と逃げる。
  国境の外の法律の届かない所へと逃げる。
  社会の破綻である。
  節操のなくなった大企業や大金持ち層が、こんな事を
 今、している。
  日本に育てられた子供や家族、残した日本の人たちに
 大きくしてもらった大企業が、恩も何も感ぜずに、日本
 から出て行く。
  「パナマ文書」に、国の模範となるべき「国のリーダ
 ーたち」が、自己だけの利益追求の欲に負けて、名を連
 ねている・・公表された名は、ここでは伏せるが・・
  世の末の形相を呈している。
  税のシステムの破綻行為をしている。
  アイルランドと言う国も、この手を使って大企業を誘
 致している。
  民主主義の破壊行為国となっている。
  周辺国からの苦情に、「税率の決定は各国の権利だ」
 と「けつまくりの反論」をしている。
  (参考)尻を捲る:しりをまくる・けつをまくる:
     居直ること。物腰を急に変えてけんか腰の様相
     を呈することなどを意味する表現。
  アイルランドへ、国際社会があってこそ、貴方の国・
 アイルランドも成り立っているのでしょうと反論したい。
  大企業は多国籍企業となり、大富豪も、莫大な資金を
 投入して節税と称して税金逃れをしている。
  アメリカというキリスト教国は、この流れに節操なく
 先鞭をつけた・・グローバル化が都合が良いと・・
  富を吸われ続ける庶民は、もっと怒らなければならない。
.
2016年、日教組は、「国際理解」という事を完全にはき違
 えている。
  また、意図的に詭弁(きべん)を弄(ろう)し、日本
 を冒涜している。
  また、日教組は、「ジェンダーフリー」を運動方針に
 している。
  だから、「ひな祭りなどの伝統文化」を否定している。
  この様な自分たちだけの判断基準を、子供たちに押し
 付けている。
  何でも屁理屈を付けて、理由なき理由を付けて反対す
 る日教組
  日教組のこの言い掛かり的に、日教組の組織に付いて、
 文句を言うならば、日教組の組織は、圧倒的に、男性が
 多い組織になっている。
  故に、女性の日教組の組合員を増やせ、そして、どう
 しても女性組合員が増えないなら、女性組合員と同数に
 なるまで、男性組合員を減らせ。
  こんな男女格差のある組合員数は、ジェンダーフリー
 に反する。
  女性組合員と同数になるまで、男性の日教組の組合員
 の首を斬れ。
  毎日、この事を教室で、児童・生徒に言って洗脳教育
 せよ、マインド・コントロールせよ。
  そうすれば自分たちの主張が、程度の低い詭弁だと分
 かるだろう。
  もういい加減に、子供たちを繰る日教組活動を止めよ。
  頻繁に、性教育をするのが正しい訳がない、それも、
 だんだん過激な性教育をするようになっている事を日教
 組は反省せよ。
  また、低学年に、無節操に秘め事を話すことも悔い謹
 めよ。
  これは、電車の露出狂と同じ行為だという事に気付け。
  何も知らぬ子供たちへ、2時間も過激なレベルの性教育
 をするというのは「犯罪だ」。
  こんなことを6回も、7回もやるという。
  それも複数の露出趣味的手合いの教師が、複数で組に
 なってやるという。
  こんな異常さが許される訳が無いことを気付け。
  そんな行為、教育の名の下の犯罪行為をする権利はな
 い。
  10歳になるか、ならぬかの幼い子供に対して、教育と
 いう名に隠れた「言葉による性犯罪」である。
  「ペニスの洗い方」を多くの10歳の子供たちが、居並
 ぶまででリアルに話す必要はない。
  話したら犯罪行為だ。
  あまりに露骨なので、これ以上は控えるが、この紙上
 でも具体的指摘表現を憚(はばか)る犯罪行為をしてい
 る日教組の教師たち。
  外国から「ポルノレベルだ」と軽蔑されている。
.
2017年、我が国政府が表明している安全保障の方針・・
  我が国を守り抜く総合的な防衛体制の構築
 ☆厳しい安全保障環境の中、戦略環境の変化や国力国情
  に応じ、実効性の高い統合的な防衛力を効率的に整備
  し、統合運用を基本とする柔軟かつ即応性の高い運用
  に努める。
 ☆政府機関・地方公共団体・民間部門との間の連携を深
  め、武力攻撃事態等から大規模自然災害に至るあらゆ
  る事態にシームレスに対応するための総合的な体制を
  平素から構築していく。
 ☆その中核を担う自衛隊の体制整備に当たっては、統合
  的・総合的視点から重要となる機能を優先しつつ、各
  種事態の抑止・対処のための体制を強化する。
 ☆核兵器の脅威に対しては、核抑止力を中心とする米国
  の拡大抑止が不可欠であり、その信頼性の維持・強化
  のために米国と緊密に連携していくとともに、弾道ミ
  サイル防衛や国民保護を含む我が国自身の取組により
  適切に対応する(抜粋)
 https://www.cas.go.jp/jp/siryou/131217anzenhoshou/gaiyou.html
.
2017年、日教組は、「強制だ」と言って拒否し、最終的に、
 それを排除する行為をする。
  与えれば・・『強制だ』と言う。
  自分たちが好きなこと、すきなものには、その様な事
 は、当然、言わない。
  ・・が、しかし、「自分たちが気に入らないものに、
 『強制だ』と言って受け入れない。
  『強制だ』を、受け取り拒否の看板にしている。
  指示・指導をしても「強制だ」と言う。
  結局、自分たちの好き勝手をしている。
  しかし、自分たちの給料は貰う。
  たまには、「強制だ」と受け取りを拒否をしてみなさ
 いと言いたい。
  結局、「管理されたくない」というところに帰結する。
  自分の好きな事「だけ」を・・自分の好きにやりたい
 のだ。
  自分たちの好きに、「子供たちを教育したい」「自分
 たちの好きに洗脳したい」なのだ。
  だから、「法律で決まった事もやらない日教組」とな
 っている。
  日教組の、教師の、好きに、子供たちをマインド・コ
 ントロールをしたいのだ。
  日教組は、「強制」という言葉で、自分たちの好きで
 ないことは、『強制的に拒否』し、強制的に排除し、受
 け付けない。
  日教組は、この様な方法で、自らのイデオロギーを子
 供たちに『強制』している。
.
2017年、韓国軍は、アメリカ軍にまったく信用されていな
 い。
  それは、朝鮮戦争の時から始まっていた。
  昨日・今日、始まったことでは無い。
  朝鮮戦争という激戦を戦う中で、気が付くと周りに韓
 国軍が居なかったという窮地をアメリカ軍は体験した。
  アメリカ軍は、冷や汗をかく様なことを、朝鮮戦争
 時から何度も味わされて来た。
  韓国軍の幹部が嘆(なげ)く・・「何故?、日本の自
 衛隊は、アメリカ軍に信用されて、韓国軍は信用されな
 いのか?」と・・この韓国軍幹部の漏らし嘆いた言葉の
 答えはこれだった。
  これに対し・・「日本軍は、いつの時でも、正面から
 堂々と来た」・・「汚い事は一切しなかった」・・「こ
 の様な戦い方をするのは日本軍だけだ」とアメリカ軍は
 その裏付けを話した。
.
2017年、日教組の子供たちへの思想教育は『大罪である』。
  日教組は、まだ、発達途上の子供たちの頭に、洗脳教
 育をし、マインド・コントロールをしている。
  「日の丸」や「君が代」の日本の国柄を示す根本を壊
 そうとしている。
  「日の丸」「君が代」は戦争になるからと、何ら脈絡
 のない恐怖をたたき込んでいる。
  「天皇陛下」を「天皇」といい、恐怖の対象のように
 教える。
  絶対尊称は使わない日教組
  「日の丸」の赤は、日本によって殺された人々の血の
 色だと、どぎつい表現の悪印象をマインド・コントロー
 ルするやり方で、子供たちを洗脳している。
  日教組に言わせれば、赤だって、黒だって、黄色だっ
 て、こんな言い方で「日本のすべてを悪く言いたい」の
 だろうが??
  『いかにして平和を守るか?』という、本来、教えな
 ければならない事の微塵も日教組は教えない。
  教えるべきことをしない日教組のお粗末となっている。
  『いかにして戦争を抑止するのか?』という、これこ
 そ教育すべき課題で・・、
  この様な重要な教育課題を放棄している日教組となっ
 ている。
.
2017年、ECという形を使ってドイツは伸びた。
  EUでは、どこの国も本音は移民に大不満。
  今、香港が、チベットやウィグルと同じように、どん
 どん中国本土の中国人がどんどん入って、香港が中国化
 しているという。
  数年働いて、お金がたまると、家族を呼び寄せるとい
 うパターンとなっている。
  オーストラリアにも、どんどん中国人が入って、その
 様な中国人は、積極的な行動家なのでオーストラリアの
 子供たちが駆逐されるという。
  日本のゲームばかりして「のほほんとしている子供」
 は移民に駆逐される。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive