臨時ブログ:キリスト教の現・法王は、今までの法王と違う行動をとった・・

臨時ブログ:キリスト教の現・法王は、今までの法王と違う行動をとった・・
  (真を求めて、皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑記)
.
  (読売新聞、2015・11・3)に投稿されている・・、
  松本佐保氏・名古屋市立大学教授(「バチカン近現代史
 の著作のあるキリスト教研究者)の、
  この投稿文の記述において、余りにも片寄った見方で
 書かれていることが多々あった。
  この新聞の見出しは、
  「ローマ法王フランシスコの訪米」、「教派、党派を
 超え普遍的価値」・・とあった。
  この投稿文を読んで、まず感じたことは、キリスト教
 聖書の裏打ちのない「遊離した話」であり、また、行為
 だと感じた。
  もし、「この新聞に書かれた法王の行為が正しい」の
 だとするのならば、その行為に反するキリスト教聖書の
 記述部は削除されるべきだと感じた。
  また、この松本氏の記述は、「同時期に訪米した中国
 の習近平国家首席より騒がれた」と記して、こんな事で
 現・法王を美化する記述から始められた。
  また、「前法王・ベネディクトより騒がれた」と、前・
 法王を引き下げることまでして、現・法王の方が騒がれ
 たと美化記述した。
  その理由として、「前法王は贅沢であった」と書いた。
  前法王の「公表が憚(はばか)れるようなこと」を記
 して、現法王を美化した。
  「現法王は贅沢ではない」、現法王は、「だから、そ
 れを排した」、だから、アメリカで人気が出たんだ、騒
 がれたのだと美化した。
  また、前法王は、社会の底辺にいる貧しい人たちに見
 向きもしなかったが、現法王は、そうしなかったとまで
 記した。
  前法王方たちの贅沢を排し、貧しい人たちに関心を示
 したという当然のことで美化した。
  そして、アメリカ社会が、弱肉強食で、強者が弱者を
 虐(しいた)げているが、前法王たちは、その様な差別
 的状況を指摘しなかったが、
  現法王は、前法王たちと違って、しっかりと批判した
 と美化した。
  要は、書き方にも問題があるのだ。
  基本的には、キリスト教は間違っているからこの様な
 状況が生まれているのだ。
  松本氏は書く・・、前法王たちは、この法王たちがキ
 リスト教カトリックで、
  このカトリックキリスト教が・・、
  アメリカの建国の自由とか、平等とかの理念と相容れ
 ないからだ・・と記した。
  だから、アメリカ社会は、この、カトリックの考え方
 を受け入れることができずに、
  アメリカとカトリックが、相入れることがなかったの
 で、
  アメリカ議会で法王が演説することが、ずーっとでき
 なかったのだ・・と記した。
  そして、アメリカとカトリックは、お互いを理解でき
 ずに反目して来た・・と記した。
  アメリカは、キリスト教国であるのに、キリスト教
 トリックを差別さえした・・と記した。
  だから、カトリックが、アメリカ大統領になれなかっ
 た・・と記した。
  キリスト教カトリックの大統領は、ケネディだけであ
 る・・と、
  まったくのアメリカの差別行為で、その差別状態の結
 果だ・・と記した。
  この作家は、カトリックであろう・・、
  完全に、カトリックの法王のサイドに立ち、
  プロテスタントキリスト教を別宗教に思えるくらい
 に攻撃して、記している。
  そしてまた、「また、67%がプロテスタントであるの
 に対して、そのアメリカのキリスト教徒の差別のため、
 カトリックは、その半分以下の少数のカトリックという
 差別の結果の社会となっている」・・と記した。
  このアメリカ社会の差別性を指摘した松本氏は・・、
 「奴隷制度を廃止したリンカーン」と、いつものキリス
 ト教のプロパガンダ(嘘宣伝)を、この松本氏も記した。
  これは嘘です、キリスト教プロパガンダ(嘘宣伝)
 です、本ブログの別項に記させて戴いています。
  同様に、松本氏は、もう一つの定番のキリスト教のプ
 ロパガンダ(嘘宣伝)を書いた、それはキング牧師の事
 で、
  このキング牧師だって「ヒンドゥー教ガンジー師の
 考えに感銘を受け、そして、従った人」です。
  そして、現・法王が、「環境問題の改善を叫んだ」と
 美化した。
  しかし、この「改善を叫んだ」と言ったって、キリス
 ト教が、散々、キリスト教の教義で、「地を従えよ」と、
 地(地球)が荒れる行為を促してきた歴史がある。
  教義「地を従えよ」の考えで、地球が荒れるに荒れた
 のです。
  乱開発はこの教義に洗脳され、影響され、行なわれた。
  地球を大切に、思いをおよばせて、大切に使って行こ
 うという考えは、毛頭もないキリスト教の教義なのです。
  この教義は、完全に間違っています。
  松本氏は、人々が誤解する様に書いていますが、この
 書き方は問題です。
  これでは、事態が改善しません。
  うまく書いて人々を惑わす事は止めて戴きたい。
  教義「地を従えよ」と、地球資源の乱費を賞賛し、
  特に、アメリカの大量消費が世界の批判を受けました
 が、
  貴重な資源を、次々に使う事を賛美し、
  大量消費を讃美し、栄光なる発展だと誤解を与えた。
  大量消費の讃歌を謳ったキリスト教だった、それを発
 展と称した。
  そして、それに従ったアメリカの大量消費の文化だっ
 た。
  この様な、キリスト教の教義の「地を従える文化」の
 讃美であった。
  そして至って来た環境破壊の現実の中に、今がある。
  汚染した地球がある。破壊された地球がある。
  その地球の資源乱費の経緯・歴史を見て下さい。
  日本の里山の考え方、自然との「共生」の考え方が正
 しいのです。
  仏教の「一切衆生、悉有佛性」が正しいのです。
  地のあちこちは仏になりうる仏性が宿る・・と、地に
 敬意を払う事です、敬(うやま)う事です。
  自然に敬意を表し、その自然を大切に思い、自然と共
 に共生する。
  この考え方が正しいのです。
  それでも、キリスト教が、間違いである教義の「地を
 従えよ」の教義を守ろうとするのなら、それは間違って
 います、「悔い改め」て戴きたいと思います。
  そしてまた、松本氏は書きました、法皇を美化をして、
 「包括的態度になった」・・と、
  この松本氏の書かれた、この包括的態度は、今までの
 キリスト教を改めて、包括的に変えたという事ですが、
  要は、間違いであったキリスト教の部分を捨てて、変
 わったという・・、
  キリスト教の虚偽を捨てて、キリスト教の考え方の部
 分から離れたという・・、
  そうであるならば、キリスト教聖書の記述を変えなく
 てはいけません、
  新しい記述を示さなければいけません・・、
  そして、明確に、古い、旧来の考え方を捨てたところ
 を示さなければいけません・・、
  その様なこともせずに、ただ、人々を惑わす行為をし
 てはいけませんし、また、旧来の間違ったキリスト教
 そのままにすることも止めなくてはなりません・・、
  旧来の様な伝道行為も止めなければなりません・・、
  中国への批判も「自分に都合の良い言い方」です。
  過去の間違ったキリスト教から完全に脱却して戴きた
 い。
  次世代の方々のために、是非、実行して戴きたい。
  そして・・、
  また、最近、仏教の共生の様に、生活し、生きた一つ
 の事例が、日本の縄文文化にあったという放送があった。
  そしてこの「日本の縄文」が、これからの世界を導く
 と、脚光を浴びて、注目されていると、放送していた。
  「仏教の共生の思想」が正しいことを証明する放送で
 あった。
  その放送内容の「あらすじ」を書けば・・、
  ・・・、
  紀元前1万4500年頃から、日本の縄文時代は始まった。
  縄文時代は、今から約1万6500年前(BC1万4500年)
 〜約3000年前(BC1000年)にかけて、日本列島に発展
 した。
  この日本の縄文時代が、世界の注目を浴びているとい
 う。
  日本人の優れている点が、ここにもあったという事を
 知らせてくれた。
  NHKスペシャルが2015・11・8がその放送だった。
  縄文文化を世界が注目するのは、何故か?
  1万年もの間、縄文文化は、変わりなく持続した、それ
 は、何故なのか?
  300人もの人々が、入れる巨大建築を建てられたのは、
 何故なのか?
  30メートルを越える超高な建造物が、すでに当時、建
 設機械もない時代に建設できたのは、何故か?
  ただただ、日本人の祖先の方々の優秀さに驚くばかり
 である。
  狩猟採集だけで、定住を実現できたのは、何故か?
  これは、世界のこのジャンルの識者・知識人の常識を
 覆(くつがえ)したという。
  狩猟採集の民は、農耕民へ移行する前の「遅れた民だ
 った」というのが世界の常識だった。
  だが、その常識を覆した日本の狩猟採集の民・縄文人
  この日本の縄文人を知り、世界の学者たちの常識は変
 えられたと言う。
  狩猟採集民であるのに、学者の常識を変えた「縄文の
 民の豊かさ」が、「そこにはあった」と学者は言う。
  80種類を越える縄文の人々が採集する植物の豊かさ。
  酒も造っていた食べ物の豊かさと豊富さ。
  そこには、食べるものの豊穣と豊かさがあった。
  ある年代より、栗の花粉が急激に増えていた。
  それは縄文の民が、栗畑を持ち始めていたからだった。
  ただ採集をしていただけの民ではなかった。
  生活の豊穣を求め、豊かさを求め社会のシステムを変
 えていた。
  その栗畑を、縄文の民は、常識以上に増やしていた。
  栗の実を食料としてだけではなく、豊かさをもたらす
 種子とも見ていた。
  栗を食料から食糧へと変える知恵を持っていた。
  稲の農耕ではないが、栗でそのシステムをすでに実現
 していた知恵の縄文の民だった。
  「栽培して、必要な食糧を貯蔵する」というシステム
 である。
  縄文土器に付着している黒い部分を、所を、化学分析
 をしたら、魚の脂肪分が焦げたものと分かった。
  つまり、縄文土器で、魚の煮炊きが行なわれていた。
  近代科学が、それを確認した。
  縄文文化は、「朝鮮半島まで来ていた農耕文化」を受
 け入れることを拒絶した、・・と、言うより、取り入れ
 る必要性がないほど、縄文の民の生活は豊かだった。
  その農耕文化を受け入れる必要は無かった。
  自分たちで植林し、造った、栗林の中に居住し、その
 食糧の貯蔵で、その栽培と貯蔵のシステムで事足りてい
 た。
  そして、時代の変遷の中で、落葉樹林が展開していっ
 た、増えて行った。
  ブナ林などの木々と共に、豊かな木の実も手に入った。
  「四季の恵み」にも恵まれて、
  山菜も採集し、魚〈サバ〉なども取った。
  ウルシも利用した。
  クルミやクリも拾いい、ウナギも採った。
  貝も拾った。
  その生活は、1万年以上も続く、変わらなく続く、自然
 の輪廻、再生の中に、共生する幸せな生活が続いて行っ
 た。
  土器の模様には、実用から離れた余裕があった。
  自然に感謝し、そして、土器に模様を付けるニューギ
 ニアの現地人が居る・・が、縄文の方たちも・・、
  その様なことだったのだろう。
  水の精霊に感謝し、模様を刻む、食糧の恵みに感謝し
 鳥の卵を描くなどなどをするニューギニアの現地人。
  日本の縄文に、合掌をする縄文土偶がある。
  そして、縄文の知恵は、この様にして、「自然を持続
 的に利用する」ことだった。
  「こうでなければならない」とイギリスの学者は言う。
  日本人の祖先・縄文人が教えることを、イギリス人の
 学者がその通りだと、そうだと言う。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive